2012/01/29

「100,000年後の安全」



観ました。
原発依存の日本人は絶対に観るべきです。
フィンランドのオンカロの放射性廃棄物の永久処理場のドキュメンタリー。
私は放射性廃棄物って何なのかも分かっていませんでした。(最終処理されてご都合よく消えてなくなる訳ではない)

私の考えうるはるか先、奥深くまで、議論がなされていた。
放射性廃棄物をどう処理するか。
その方法は、放っておいてもよい方法でなければならない、だとか。
なぜなら、監視が必要な廃棄施設は
今後10年100年1000年100,000年後に、飢饉や戦争や災害が起こった場合、地上がどうなっているか分からないから保障がない。
氷河期が来るかもしれない。だから、安全な地層深くに埋めるのです。

マトリョーシカのように厳重に封をされた放射性廃棄物が生物に完全に無害になるまで最低でも100,000年。
100,000年後のみんなに、どうやってその存在をその危険性を、伝えるか、というのが課題。
好奇心に乗じて掘り起こしてしまったらどうか?
「危険です。入らないでください」という標識をして果たしてそれが理解できるか?読めるか?
そもそも言語が違うかもしれないし。
その存在さえも忘れ去られるように伝えていくか?どうやって?
というような内容でした。

私たちはなんて身勝手なんだろうと思う。作るだけ作ってあとは知らん顔。
今から100,000年前と言えば、ネアンデルタール人が狩りをしていた頃。
100,000年後の人とどうやってコミュニケーションを取るか、過去を振り返り生かせるのならば、と考えてみるんです。
過去から学ぶ事はできるから、未来の事は未知数だけれど、今できる事があるならばそれに真剣に取り組むのが必要で
未来の子孫のために責任を取る事は当たり前なんですよね。
この映画に出てくる人たちはみな責任を取ろうとしている。モラルがあります。
「最後に未来のみんなにメッセージを」と言われて、女性が
「私たちの生きる現代よりもよりよい文明を作ってください」というような発言をしたときに
私は涙が出そうになりました。

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