2013/02/27

水尻自子 すし 2


まったりしたきもちになる。

「太陽がいっぱい」

太陽がいっぱい 最新デジタル・リマスター版 [DVD]

なにげに初観賞。
リメイク版「リプリー」の方を数年前に観ていた。
あちらはジュード・ロウにマット・デイモン、
女性はグイネス・パルトロウ。
緑色の衣装での統一がとっても美しい映画だった。

さておき。古い「太陽がいっぱい」はアラン・ドロンの長い脚に怪しく輝く目がとても男前。
灼熱の船の上での完全犯罪。
太陽だけが知っているはずだった。重大なミスを犯していたことに気付かずすべてを手に入れたと確信したときの台詞が
「あぁ、太陽がいっぱいだ」。
この訳を考えた人すごいセンスあるなぁ。

イタリア・フランス映画で不思議なカメラワーク。現代にない感じ。
少し「刑事コロンボ」っぽい(あちらがマネしてるのかー)間接的に見せる。
今の映画は直接的だからかなぁ…。

2013/02/23

2013/02/22

今日のGoogle―エドワード・ゴーリー

今日のDoodleは私の大好きな絵本作家エドワード・ゴーリーの生誕88周年。
ということで
「Googleがゴーリキだよ!」と親から電話がかかってきました。(剛力彩芽?ちが…

Gのとこにいるのがゴーリーですね。めがねかけてる老人。ねこも好きなのでいっぱいいますねー。

ゴーリーは日本語に翻訳されたものはほとんど図書館で読んだと思いますが
どうしてもほしかった3冊は持っています。
「おぞましい二人」「不幸な子供」「華々しき鼻血」。

おぞましい二人 不幸な子供 華々しき鼻血

「おぞましい二人」は傑作です。初めて読んだとき震えがし、すぐさまもう一度読みました。
そのおぞましい内容に、冷静な作家の目に、細かな絵に、そして訳者柴田元幸さんのすばらしさに驚愕したもので、
しばらくはartificial grape sodaという言葉が頭から離れませんでした。(読んでみてください)

この本はマイラ・ヒンドレーとイアン・ブレディー(うろ覚えだったらすみません)という二人が荒野の別荘に子供をたくみに誘いだし惨殺するという当時のイギリスを震撼させたムーア―ズ事件を元にして、ゴーリーが生涯書かざるを得なかったのはこの本だけとも
言っている非常に重要な本です。

「不幸な子供」
これも「おぞましい二人」と同じくらいタイトルもすごいが「不幸な子供」そうとしか言いようがない。
細やかな挿絵に、容赦しない不幸の連続、そしてさらなる不幸を盛ってくるゴーリーの奇人たるや感動的です。

「華々しき鼻血」
この3冊の中ではいちばんきれいな淡い桃色の表紙。中身は桃色を裏切るわけの分からない本です。
英語が分かったならもっとおもしろかったかもしれないが
「おぞましい二人」同様柴田元幸さんの訳がほんとうにすばらしい。日本語をよく知っていないと書けない訳に、
シュールを通り越して変すぎるゴーリーのユーモラスが和む大人の絵本です。

他にも本屋さん・図書館にもいっぱいあるので見てみてください。

2013/02/14

けんちゃん

叔母―母の妹はずいぶん昔に離婚した。
叔母の子ども(私のいとこですが)女の子が27歳、男の子が24歳と二人いる。
離婚してから二十数年一度もお父さんに会っていないみたいだ。
顔も知らないお父さんに会いに行くというシーンのある映画を観た。ふと思ったのがいとこ達は一度でもお父さんに会いたいと思わないのだろうか、だった。

私たちの親類の中でお父さんであるけんちゃんはその映画のお父さんと同じく「ひどい人」という位置づけになっている。
けんちゃんの話題が出てくるのはおもしろおかしく話される場合のみでタブー視されてる。
私が小学校2年生くらいだったから、いとこたちはもっと小さかった。
昔のアルバムを開いてみると笑顔の叔母、けんちゃん、遊んでもらっている私の写真がよく出てくる。
なんだかたぶんいちばん遊んでもらっていたのは私だった。
叔母たち家族はひととき埼玉で暮らしていた。いとこたちは今二人とも東京にいる。
もし彼がまだ埼玉かこの辺りにいるならば近い距離、会いたいと思わないのだろうか。
叔母たち家族は最初からけんちゃんなどいなかったかのようにずっと暮らしてきた。
生まれてすぐいなくなったお父さん。いまさらいらないのだろうか。
私が言うことでないが会ってみてもいい気がする。
訳があっても、成長を見ることのできなかった子どもたちのことを彼が思い出さないはずはない。
生きているのか死んでいるのか。ひとりなのか。再婚しているのか。もし子どもがいるならなおさらいとこ達にとって兄弟がいるかもしれない。
知りたいと思わないのか。知りたくないのか。

いとこ達にはこのことをうんと酔っぱらって話も尽きて柄にもなくまじめになった振りをしてくらいにしか口に出せそうにない。私が言うことでないが気にしてる。

2013/02/05

ゆらゆら帝国

TVでなにげなく聴いた直後にこれは覚えのある「空洞です」だった。
聴かされてるうちに覚えてしまった「愛のむきだし」の主題歌だった。
目に鮮明に焼き付くは満島ひかりの白いパンツ。
私空洞です。
CMで流して…どんなシチュエーションでこんなフォークなムードにいやしかしアンニョイな音楽を使う。

"僕は空洞 面白い"

2013/02/04

さみしさとか孤独とか

さみしさ。
小さなコップからお水があふれるみたいに私の処理できる範囲をかんたんに越えてしまうよ。
さみしいと感じた事がないと言う人に出会うと宇宙人のように思える。

なんでこんなにさみしいんだろう…これは何?
もう何年も十分に感じてきたはずなのに処理するのが一向に上手にならない。
なんだか私はひと様にこのさみしさをおぶってほしいと思っているところがだいぶある。
でもそれはしちゃだめだと分かっているからなおさらぎゅうって自分を堪えたり律したりする。
そんなとき抱きしめるのは中学生のとき買った灰色になったスヌーピーと妹にもらったアルパカ。
私はこのさみしさのクッションをぎゅーするよ。

まくらのにおいを嗅ぐと自分の匂いしかしなかった。
これが好きなひとのまくらならずっとくんくんしていたいよ。それがあっら、あともう10年くらいは平気そうだよ。

2013/02/02

「インシテミル」

特に何にもならない映画を観てしまった…。
なんか突拍子がなかった。

デスノートやらカイジやら。
藤原竜也は金ほしさに死のゲームに参加するマンガ俳優みたいで、この人ほどうわあぁぁぁと呻き声をあげながら床なり壁なりを這いつくばって逃げる演技が上手い人はいないだろう。

そんなことはどうでもよくて、
家族ものとか青春をすぎた若者の話とか狂ってない、もっとhumanな映画に出たらどうだろう。