2015/06/29

マレー半島の西から東へ




東海岸の港町クアラ・トレンガヌ。
真っ白なMasjid Abidin。

Selamat jalan マラッカ


マラッカを発つ前日、宿のLady Bossがマラッカのバスステーションまで行くバス停を教えてくれた。

昨夜はモスクから聞こえる声や音楽や車の音で眠れなかった。
日照りの中を重い荷物をもって歩くのはつらいのでまだ暗いうちにチェックアウトした。
外は真っ暗でねこしかいなかった。

教えてもらった通りの道を歩いた。
日傘も長そでもいらない暗い道は歩きやすかった。

バス停が見えた。
6時になったところだった。
日の出が7時すぎだから明るくなるまであと1時間もある。
ほんとうに真っ暗だ。
外灯がついていて、ときどき車が飛ばしていく。
マラッカステーションからのバスは早朝から走っているのでそれに合わせてローカルバスもあるんだろうと勝手に解釈していたけれどLady Bossに時間を聞くのを忘れた。


バス停に腰掛けた。
いつ来るんだろう。
7時かもしれないし8時かもしれない。

時間だけがある。


ほんとうに夜かと思うほど暗い。
あと1時間で朝がくるの、バスもくるの。
さりげに曲がり角を眺めてみても他の車が走り去るだけ。
窓から明かりがもれWelcomeと札の下がったホテル。
警備の人に、バス何時に来る、と聞きに行ったが彼は首を振るばかりだった。
何時に来るかなど愚問だったのだ。


バス停に戻りたたずんでいた。
何もすることがない。
後ろに木が茂っているからか痒い。
バックパックの中からムヒとiPodを出したいけど奥にあって出せない。


斜め向かいの中華料理店が煌々と明かりをつけ、調理をしている。
だんだん空が白くなって行き交う車、バイクが増えてきた。
不意に曲がり角からバスが現れ、あっという間に私を連れ去った。

バス停に着いてから55分が経っていた。

2015/06/27

顔のついた裸の鶏


昼間気温が高く歩きたくないので早起きしてブキッチナに行こうと思った。
(と言っても朝でも暑い)

インド人街を抜けた辺りの広場にぞろぞろ人がいて朝市をやっていた。
野菜やお菓子や鶏やフルーツや服やサンダルが売っていた。

中ほどまで進むと、ぷるんとした白い肌の鶏が積んであった。まだ顔がついていた。
出刃包丁をもったおばさんが真っ赤な顔で肉と格闘していた。
後ろにばっさばっさとカラスが三羽。

鳥頭というけど鶏の頭ってほんとうに小さい。

その奥はもっとカオスだった。イカが水に漬けてあるところまで行って引き返した。
朝ごはんがまだだったので揚げパンみたいのを買って食べた。
1つ70セン(100センが1RM)

お兄さんが油揚げを試食していた。
マレーシアのお店の人たちはみなかいがいしく客の世話をしている。


ブキッチナは中国人墓地(Bukit China)で
15世紀の墓や新しい白い墓が点在している丘とのこと。
マレーシア観光に来ている中国人団体客も、遠いご先祖様をお参りしに来ているかなと思ったらひとっこひとりいなかった。(朝8時だし…)

木々と草に覆われた墓石の間を登ってくと、このまま吸い込まれて消えてしまうのかなと思った。


朝から出歩いたから疲れたよ。足に水ぶくれができて痛いんだ。
昨日大事なノートをなくしてしまった。
たぶん車で連れてもらったときだと思う。
あの中にはお客さんの連絡先が書いてある。
なぜそんな大事なものを持ってきてんだ。こんなところでなくすんだ。
ずっと旅をしてるわけにはいかない。帰ったら必要になる。アジアの藻くずになってしまったか。


ゲストハウスの店主(レディボス)に言ったら、聞いてあげるよ、と言ってくれ、
明日のバスの乗り場所も教えてもらって、「(宿の)コーヒーとかお茶とか好きに飲んでよ。なんかあったら言ってね」ととてもやさしい。
「そのピアス高いもの?」と私の300円のピアスを指さした。
「高いもの身につけちゃだめよ。日本人の子、ネックレスとかつけてー」
9RMだというと笑っていた。私はあまりきれいな恰好してない。

彼女は、「日本人はみんなひとりで泊まりに来るの。男の人もひとり、女の人もひとりだよ」と不思議がっていた。

日本人はひとりで海外旅行して一体何を探しているんだろう。
とりあえず「日本人は忙しい」ってことになった。
「仕事辞めないと長期の旅行なんか行けないんです」



写真はチャイナタウンの路地。
観光客向けのメインストリートだけど隙間におもしろい景色がある。

Mix Culture in China Town Melaka


マラッカはその昔、ポルトガル、オランダ、その後イギリスに支配された。
中国からの移民が地元のマレー女性と結婚し、マレーと中華の融合した独自の文化(ババ・ニョニャ)を作りあげた。
マラッカのチャイナタウンは一階は中華風で、二階はヨーロピアンな色使いという雰囲気の家が立ち並んでいる。
先日見たベトナムの映画「青いパパイヤの香り」にちょっと似てる。(ベトナムはフランス統治)


モスクの隣に中国寺院があったり、すぐ近くにインド人街がある。
ポーチュギーセトルメント(Portuguese Settlement・ポルトガル子孫の村)で働く人たちはクリスチャンだという。
マレーシアは複合多民族国家という。違う思想、文化の人が交じり合って独立していっしょに暮らしてる。
島国で鎖国していた国からしたら考えられない、柔軟性と他者への寛容さがある。

タクシー交渉失敗とおっちゃん


クアラルンプールからバスでマラッカにやってきた。

暑くて足も痛くて部屋でへばってたけどマラッカ市街地から遠いMelaka Straits Mosque(Floating Mosque)が見たかった。

泊まったゲストハウスが階下で商店をしており店番をしていた長身のおっちゃんが私の代わりにタクシーを呼んでくれたけど、ドライバーはモスクまで往復&待機を20RMでという私の申し出に応じず(45RMでならいいという)交渉は決裂した。

20~30RMで交渉してみましょう、とネットに書いてあったのでそれ以上は私はまったく払う気はなかった。
マラッカは世界遺産で観光地化されており、大勢の中国人観光客が大挙して押し寄せているから、街を散策していても少し高めかなと感じていた。

タクシーから戻っておっちゃんに「(せっかく電話かけてくれたのに)ごめんなさい」と謝ると
「20分待ってくれたら私が連れてあげよう」
というの。


人生初めてのモスク。
靴を脱ぎ敷地内に入ると肌と髪を隠すブルーのケープをつけてもらった。

ぱしゃぱしゃと写真を撮るおっちゃん。
彼は生まれも育ちもマレーシアだそうでお顔立ちは中華系。50代かなぁ。
彼も初めてこのモスクへ来たみたいだ。
Floating Mosqueはマラッカ海峡をのぞむPulau Melakaという人工島に浮かぶように建つ。
海を越えたらそこはインドネシア。スマトラ島。

モスクは白い壁の格子状の窓とステンドグラスが美しかった。

2015/06/25

チョウキットマーケットでローカル巡り

クアラルンプールに来て2日。
チョウキットマーケット Chow Kit Marketは初めておもしろいと思える場所だった。



フルーツ専門の一角。
甘ったるい香りと呼び込みの声がする。
地元の人がメイン客層のようだった。



ランブータン。500g 2RM。
暑いのでフルーツから糖分を摂る。
後からチャイナタウンでは1kg 10RMで売っていたのを見てにんまり。

その後部屋でパソコンしてペトロナスツインタワーに行ってみた。
高さ452mの双子のタワー。
170m 41階のところでつながっている。
つなぐ必要があるのか。



夜チャイナタウンをぶらっとした。
屋台のおやじさんが中国語でメニューを説明するけどまったくわからない。

外で食べると気持ちがいい。気温が下がってきたみたいだ。
帰りにおやじさんにシェィシェィと言うとにっこりしてまた中国語でなんか言われた。

巡回バスに終点へ行かれる

マレーシアは多民族国家。
マレー系、中華系、インド系、アラブ系、肌の白い人、浅黒い人、すごく黒い人、外国人。
人種が雑多なら街並みも雑多。
「新旧が融合した」と言えば聞こえがいいけど
「草木の手入れをしてなかったので勝手に伸びてしまいました」というような街並みをしている。
道は汚い。廃墟みたいなものもあるのに超近代的な高層ビルも多い。
マレーシア人は古いものと新しいものどちらが好きなのか。
たぶんいろんな人種・宗教の人と暮らし経済発展するうち「ごちゃ」っとしてしまったのだと思う。

今日は気温34℃、湿度59%。
この中をただやみくもに歩くのはやめた方がいい。
ぶらぶらするのが好きだからついやっちゃうけど暑くてたまらない。

なんとなく清潔そうで、そこそこ人もいる白い壁とファンの回る店で食事をした。
けげんそうなおやじ。
マレーシアの人は怒ったような顔をしてる。
魚肉だんごとたまご麺のヌードルとコーヒーを頼んだ。

クアラルンプールにはKL City Busという市内を巡回する無料バスが4ラインも走っている。
バスを乗り継げばどこでも行けるという触れこみで市民や旅行者も使っているらしいのだけど初心者にバスとバスを乗り継ぐことができるわけがなかった。

車内は冷房がんがん。
爆音のマレーミュージック(運転手の趣味による)。
バスがビューンと飛ばすので両手で棒につかまっていても転げそうになる。
途中、六本木をぐっちゃっちゃにして飾ったような繁華街ブキッビンタンを通った。
超近未来的で映画に出てきそう。おどろいた。

突然、ワキガのにおいがした。隣に立っている人がつり革につかまっていた。

場所が分からなくなり、しょうがない分かる場所まで乗っていようと思ったら、バスは巡回せず(巡回路線から外れたことさえ着くまで気づかず)、バスターミナルまで行って止まった。
みんなわらわらと降り、私も物知り顔で歩き出した。
ここはどこだ。
おっちゃんが私の地図のある場所を指さした。後から知ったけどそこは違っていた。(私はもっと遠くのバスターミナルにいた)
19時すぎてる。
だんだん辺りが暗くなり、Twin Towerが白く光り始めた。
暗くなる前に帰り道見つけたい。
ターミナルに停車したバスは一向に走り出す気配はなかった。

頭上を見上げるとモノレールのレールがあり、少し先に屋根が見えた。
あれ、駅かも。

モノレールを見つけた。いろんな人に聞きながら乗り継いだ。
もう恥もなくなっていた。

20時。見慣れた駅だ。おなかがすいてきた。
ゲストハウスの隣の中華料理店でごはんを食べよう。

バックパックに砂をつけ

バックパックカバーにベランダの砂を塗りつけて汚してみた。
荷物を入れて背負ったまま体重計で測るとプラス7kg。
あぁ、妹の赤ちゃんより軽いのに重く感じる。これは荷物だから。
靴は一足しかもっていけないな。
みんな45Lとか60Lのバックパックにしたら、そりゃ重くなる。
駅に行くだけで汗が滲んだ。顔が熱い。

エアアジアの23:45発クアラルンプール行き。
手続きで私の前に並んでいた細くて美人のアジア人の女の子の隣は、太め汗だらだらの欧米人でふたりの空気はよくなかった。
私の隣は茨城でソーラーパネルの仕事をしているインドネシア人の男性だった。
マレーシアからジャカルタまでまた飛行機、ジャカルタからジャワ島のソラ?(どこ?)までは8時間かけて列車に乗るという。
「日本人とマレーシア人は考え方違うから」
と前置きしたうえで
「「19歳とかハタチくらいで結婚した方がいいよ」」
って。

2015/06/08

「青いパパイヤの香り」

青いパパイヤの香り
青いパパイヤの香り ニューマスター版 [DVD]

1951年のサイゴン(ベトナム・ホーチミン)を舞台にした1993年の洋画。
ベトナム・フランス合作。

使用人として勤める家に10歳の少女ムイが出向くところから始まる。
青いパパイヤよりもおフランスの香りがした。
壺にためられた水、水の中の草木の緑、虫や蛙などの動物、そしてパパイヤの実が象徴的に登場する。
食事のシーン、ご飯を炊いているシーンはアジア人には馴染みやすいが、フランス人を始めヨーロッパ人には暑いベトナムの異国情緒を感じられる映像だろうか。
ちょっぴり退屈だった。

ピントは奥の人物に合っているけど
ぼけた格子状の窓や植物の葉が視界を遮り、覗いているような、ベトナムの夏の雰囲気を出しているような、そんな感じに映る。

ムイの子どもの頃、とてもかわいい。この映画のジャケットは私が映画をよく観ていた頃よく見かけたものががとても大人びているから彼女が大人だと思っていた。ムイの大人版には正直あまり入りこめなかったかな。(そもそも「そして〇年後…」という映画は苦手だけど)

青いパパイヤのサラダ食べたい。

「紙の月」

紙の月
紙の月 DVD スタンダード・エディション

おもしろかった。
これほどまでにスーツで自転車に乗るのがかっこいい女性っているだろうか。宮沢りえさん。この人は努力しているんだなと思った。
あまり映画の中の犯罪者に肩入れすることはないけれど彼女の場合はなぜか、がんばれ、逃げろ、と食い入るように画面に見入ってしまうような犯罪者だった。

電車のシーンが多い。(深夜の撮影で大変だったと言っていた)
電車の風っていいよね。何か都会の得体の知れないものから追われている感じがする。

大島優子、小林聡美などほかの役者さんもよかった。