2019/11/22

私だけキムチのエミレーツ

帰りの航空券を持たずに旅立つのは初めて。なにしろ、これから行くコーカサスのジョージアはビザなしで最長1年間滞在できるとのこと。
ソウル仁川空港の4階でフリーシャワーを浴びて生き返り、これが最後の米と思って食べた豆腐チゲ。(実際ジョージアでは自炊したので米ばかり食べていた)


辛いから水飲みまくる。

エミレーツ航空でアラブ首長国連邦ドバイへ。
真夜中の機内食はいただきませんでした。
ドバイ時刻で朝の4時にわたわたと朝ごはん。私だけ思い出したようにキムチ配られる。
隣のお姉さん(リアーナを太くした感じの英語圏の女性)、「これ、何?フルーツじゃないよね?」
パンにバターにキムチ。ちょっ食べられない。
2席前の人はコーヒーやお茶をもらっていたが私の席まで来ずフェイドアウト。

今回初めて私、水筒を持ってきたのですドヤッ。
保安検査場に入る前に空にして、水飲み場で汲めてとても便利。
UAEに到着してターミナルを移動するのに外に出てバスに乗る。
どこまで連れて行かれるんだと不安になるくらい長い時間、キンキンの車内に閉じ込められる。
入国審査していない乗継の客らが乗るバス、もしここで事故ったらどうなるのだろう。
日の出前の朝5時。気温27℃。
乗継ターミナルで待つ。エミレーツのLCCフライドバイばっかりのターミナル。飛行機が目の前でばんばん飛んでく。
女の人たちは真っ黒いアバヤか白いのを着ている。手指までヘナでタトゥーが施されている。男の人もぞろっと長い服(白、黒、灰色)を着ている。


一瞬だけアラブの風を感じることができた。

2019/11/14

さよならブラチスラヴァ、バスでブダペストへ

最近虚無感がある。
だんだんあやしくなっていってると分かっても、精神状態が下降していくのを止められない。

気を取り直して、スロバキアの首都ブラチスラヴァ最終回。


夜の旧市街もいいね。音楽が聴こえてくる。
誰かがアコーディオンを弾いている。


この先もう二度と歩かないであろう道を、歩くのが好き。


泊まっていたのはここ、Dream Hostel Bratisrava。
鉄道駅から徒歩5分。旧市街へも12~13分。
スタッフの方はとてもきれいな英語を話す。


切符を買う機械。
未知のものへの恐怖からしばらくトラム、バスに乗れなかった。


街外れのバスターミナル。きれい。
長距離バスで隣の国ハンガリーはブダペストまで行く。
所要時間は2時間40分。料金は€9.49。

バスが時間になっても来ないからコロンビア人夫婦と話した。
ヨーロッパをバスや飛行機で回っているみたい。
コロンビアは公用語がスペイン語だから、スペイン旅行はとっても快適らしい。


この旅の中でブダペストは本命。
一体どんなところだろう。
消費税は世界で一番高い27%の国だ。

ブラチスラヴァの散策

ホステルでは、インド人の女の子が扇風機を占領していた以外特に目立った動きはなかったです。
が、ラウンジにいたおっちゃんに「戦争の展示してんだ!見に行ってくれや!」と言われた。


見た後おっちゃんには会わなかった。


青白さが人工的なブルーモスク。
観光客のおっちゃんが、写真を撮ってあげるだけで女の子を笑わせていた。
ナンパってああやってやるんだなと思った。
(ひとりはむちゃくちゃキュート&セクシーなラテンの女の子。もうひとりはメガネっ子で終始ムスッとしてた。キュート&セクシーがいなければ写真撮影はなかったであろうから…)
そして誰からも声がかからない中国人はあ!?私ですかあ。


ブルーモスク内部。


「ひっくり返したテーブルの形」と言われるブラチスラヴァ城へ。
城はいつも上り坂。暑いよう…。


テーブル。

庭があっつく、麦をもった小僧(天使?)の像、ぶどうの房をもった像、りんごの木などがありキリスト教だなあと思う。


街へ下ればまた朽ちかけた家。


その後コーカサスのジョージアを訪れた今となってはこんなのきれいな方だった。


レモン風味のノンアルコールビール。
パッケージがつや消しでおしゃれで。
断酒している彼にあげようっとと思ってドイツへ持って帰ろうと思った。
飛行機で帰ることに気づいて、だめだった。

ブラチスラヴァ、次で最終回。

2019/11/13

チェコとスロバキアは1992年までチェコ・スロバキアだった

ブラチスラヴァ世界子ども絵本原画展を思い出す。
そのままいろんな国の絵本の原画の展示なんだけど、以前日本巡回展を千葉で見た
私、子どもの絵本好きだから原画展がとてもよくて、ブラチスラヴァという都市の名前が頭に残っていて欧州に旅行するなら行ってみたいなと思っていた。

日本を出発前「チェコとスロバキアは昔チェコ・スロバキアだったんだよ」とお母さんがオウムのように繰り返していて、そうだなぁと。
私がたまに見ている中学校の社会科の地図にもはっきりと、「チェコ・スロバキア」。
1992年までそうだったので、そんなに昔ではない。
チェゴ語とスロバキア語は、お互いがそれぞれを話しても理解できるほど似ているらしい。

プラハからブラチスラヴァへの列車の切符は、チェコ鉄道 České dráhyオンライン予約(英語あり)で2~3日前に予約。1800円くらいだったような。


乗ったとたん雨。列車はブダペスト行き。
車内は修学旅行みたいにがやがや。落ち着かない。


はい、着いた。

ブラチスラヴァはこれが一国の首都かとびっくりするほどコンパクトで、素朴。


プラハも落書きがひどかったけどこっちもあーあ。


通る度ロープ。


こう、夜9時まで日照りで暑いと花もいい加減のぼせる。


旧市街。


私にも一応物欲がありほしくなったクリムトのコーヒーカップ。


こっちがほしい。

そう言えばスロバキアは通貨がユーロだから両替には困らない。



この横にオープンテラスのレストランが立ち並ぶ。

なんだか写真が多い。続きは明日にします。バーイ。

2019/11/04

唐辛子の毒で殺されそうになったおばさんの話

インド・デリーの大気汚染が災害レベルだとニュースで見て、急にタイ・バンコクのホステルで出会った、インドで唐辛子の毒で殺されかけた(本人談)スイス人のおばさんのことを思い出した。

おばさんとはバンコクのホステルで出会った。
1階ラウンジはフロント兼カフェになっていて、居心地の良いソファーがいっぱいあって、くつろいだり、一日中パソコンをしたり、知らない人としゃべったりするにはいい場所だった。
ホステルはひとりで来て泊まっている人が多かった。
私は5泊くらいしていたと思う。


スイス人のおばさんは、背が高くすらっとしているけど白人特有に肌がくたびれていてシワシワだった。
おばさんはインド人と結婚していた。30年前に30才前後のときに。
インド人の夫は、髪がビロードのように輝いて"Charming"な人だった、と。
思い出してうっとりしながら話すおばさん。

まだ若いスイス人のインドでの新婚生活。
夫の両親はよくしてくれたが、慣れないのはスパイスのたっぷり入った食事。
カレー以外に、自分の食事は自分で作っていたが、夫の母が、毎回毎回、料理に唐辛子を入れるので、辛くてたまらないし、そう毎日辛いものを食べられない。
毎回毎回。
自分の作った料理にも入れるものだから、胃が火を放ちそう、焼け焦げそうだった、胃に穴が空きそうだったのよ、と言った。
私はどんな相槌をしていいものやらだった。
だんだんとおばさんの顔がおそろしい。

ラウンジのソファーにはクッションがいっぱい置いてあった。
おばさんがクッションをひとつ手に取り真ん中に手をぐりぐり突っ込んで、胃に穴が空きそうだったのよ、と。
胃が火を放ちそう。焼け焦げそうだった。唐辛子の毒で殺そうとしてたんだわ、と言った。
”She was poisoning me!”ポイズン、とはっきり聞き取れた。
その後Charmingな夫とは離婚。

以上、タイを旅するスイス人のおばさんでした。