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2013/07/11

レオ・レオニ展

Bunkamuraでやっているレオ・レオニ展を観てきた。

小学校1年生のときにレオ・レオニの「アレクサンダーとぜんまいねずみ」が載っていた。
その頃は絵のグラフィックな美しさを学ばなかったが「むらさき色の小石」はきれいだと思った。

レオニいわく、「絵本の主人公はみな、昔小さなガラスのアクアリウムの中で飼っていたトカゲだった」
とても印象的だった。
小さな瓶の中でしか生きられないの、
そこでなら生きられるのね。

「さかなはさかな」の物語も、カエルのまねして、外の世界に憧れ水の中から出てみたくなったさかなが意を決し陸にあがるけれど息がくるしくなってやっぱり水の中が自分の生きる場所だと帰っていく物語。
さかなはさかなさ!っと言って自分の棲む場所のすばらしさに気が付くんだ。

私も、いつも居場所を探してる…。
居心地のよいところ。
陽のあたるところ。影のあるところ。
狭い世界から出たくて冒険してみたり閉じこもってみたり。
はずかしながら
個性とは何か
孤独とは何か
自分とは何か
とか探してるんだよね。
この年になってまだ判らないで。
そういうのは何も、あ、私だけじゃなかったんだ、なやんでいるのは
みんなも同じなんだ
とね。

ゴムはんで押したという葉っぱたち。心に残った。
美しかったし、
何よりも、はんで押しているからみんな同じ形をしているの、でも、色がちがう、かすれ方がちがう、濃淡がちがうの。
それはみんなと同じ私でもあり、個性がある私を意味していた。
そう思うと、身の丈にあった生活の中で居心地のよさを感じて、自分にしかできない暮らしを、自由にやっていいんだ、って思う。
レオ・レオニがそんなメッセージをくれていたと絵本を読んだだけでは理解していなかったからよかった。

最後に…眠そうな目をしたフレデリック(ねずみ)の小さなぬいぐるみがあまりにもかわいくて買ってしまいたかった。

さかなはさかな―かえるのまねしたさかなのはなし アレクサンダとぜんまいねずみ―ともだちをみつけたねずみのはなし フレデリック―ちょっとかわったのねずみのはなし

2013/03/01

水尻自子のよりぬき自子さん 襖

映像作家というかっこいいひびき。
水尻さんにはまってインタビューなど読む。
尻ということばをふくむ苗字がずっとコンプレックスだった、と。
襖

2013/02/22

今日のGoogle―エドワード・ゴーリー

今日のDoodleは私の大好きな絵本作家エドワード・ゴーリーの生誕88周年。
ということで
「Googleがゴーリキだよ!」と親から電話がかかってきました。(剛力彩芽?ちが…

Gのとこにいるのがゴーリーですね。めがねかけてる老人。ねこも好きなのでいっぱいいますねー。

ゴーリーは日本語に翻訳されたものはほとんど図書館で読んだと思いますが
どうしてもほしかった3冊は持っています。
「おぞましい二人」「不幸な子供」「華々しき鼻血」。

おぞましい二人 不幸な子供 華々しき鼻血

「おぞましい二人」は傑作です。初めて読んだとき震えがし、すぐさまもう一度読みました。
そのおぞましい内容に、冷静な作家の目に、細かな絵に、そして訳者柴田元幸さんのすばらしさに驚愕したもので、
しばらくはartificial grape sodaという言葉が頭から離れませんでした。(読んでみてください)

この本はマイラ・ヒンドレーとイアン・ブレディー(うろ覚えだったらすみません)という二人が荒野の別荘に子供をたくみに誘いだし惨殺するという当時のイギリスを震撼させたムーア―ズ事件を元にして、ゴーリーが生涯書かざるを得なかったのはこの本だけとも
言っている非常に重要な本です。

「不幸な子供」
これも「おぞましい二人」と同じくらいタイトルもすごいが「不幸な子供」そうとしか言いようがない。
細やかな挿絵に、容赦しない不幸の連続、そしてさらなる不幸を盛ってくるゴーリーの奇人たるや感動的です。

「華々しき鼻血」
この3冊の中ではいちばんきれいな淡い桃色の表紙。中身は桃色を裏切るわけの分からない本です。
英語が分かったならもっとおもしろかったかもしれないが
「おぞましい二人」同様柴田元幸さんの訳がほんとうにすばらしい。日本語をよく知っていないと書けない訳に、
シュールを通り越して変すぎるゴーリーのユーモラスが和む大人の絵本です。

他にも本屋さん・図書館にもいっぱいあるので見てみてください。

2012/10/27

ブラティスラヴァ世界絵本原画展 @ 千葉市美術館

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活字を読めないときでも絵本ならすぐにその世界に入っていくことができるから絵本が好き。
先日実家に帰ったときも、埃をかぶった「ちびくろ・さんぼ」を読んできた。

ブラティスラヴァ世界絵本原画展は チェコ・スロバキアだった時代から続く絵本の原画コンクールだそう。
ブラティスラヴァはスロバキアの首都の名前だそう。
とてもすてきな展示だった。
繊細なタッチの原画をまじかで観られた。
出版された本も横に置かれていたので大人もみな読みふけっていた。
私は子ども審査員賞を受賞したという日本人いまいあやのさんの「くつやのねこ」が一目で気に入った。

くつやのねこ
いまい あやの
4776404141

その日は雨でとても寒く、私の内側にも雨が降っていて、そんな気分だったから、あたらしい色とりどりのたくさんの絵本に触れることができて気持ちが穏やかになった。

2012/09/28

インベカヲリ★



AV監督二村ヒトシさんの「恋とセックスでしあわせにならないラジオ」(ならないのかよ)で知った写真家の方。

2012/08/04

「Future Beauty 日本ファッションの未来性」展 @ 東京都現代美術館

poster for 「Future Beauty 日本ファッションの未来性」展
65日後終了
東京都現代美術館にて
メディア: 写真 ・ ファッション ・ ビデオ・インスタレーション ・ トーク・イベント
日本ファッションが持つ創造性と、その力強いデザインに潜む文化的背景に焦点を当てた「Future Beauty: 30 Years of Japanese Fashion」展。2010年にバービカン・アート・ギャラリー(ロンドン)、2011年にハウス・デア・クンスト(ミュンヘン)で開催され、高い評価を得ました。新たな作品を加え、ヴァージョンアップした「Future Beauty 日本ファッションの未来性」展を2012年、東京で開催します。この度の東京都現代美術館での展示は、海外巡回の内容に加えて「日常にひそむ物語」というセクションを新たに設け、今後の方向性を示唆する若手のファッションデザイナーの作品も併せて紹介します。80年代の「脱構築と革新」から、90年代の“生きるコンセプトを「Attitude(態度)」として見せる世代の表現”を経て、2000年代の食べる、眠る、友人とおしゃべりをするといった"日々の行為=「Behavior(ふるまい)」をもとにした「共感」世代のデザイン"。30年にわたるこれらの変遷を通覧することで、日本ファッションの未来性がみえてきます。

現代美術館は3年前の「ラグジュアリー・ファッションの欲望」以来。
作家はいつでも新しい素材に取り組んでいる。
イッセイミヤケいわく "one piece of cloth" 一枚布。
洋服がからだにまとうよう立体的に設計されていてもそれが平面的な一枚布からできていることがよくわかるようなデザイン。
流行や歴史に応じて変化しながら芯は変わらないスタイル。
着心地の良さや異素材の組み合わせ、日常的かつ未来的なデザインが目を引く。
若手のデザイナー方の作品もとってもおもしろかった。
やっぱり服はおもしろい。
家に帰ってきて思い出した
「なぜデザインが必要なのか」に載っていたイッセイミヤケは
2009年春夏コレクション・カラーハンティング。自然(nature)に溶け込むような色味を実験したシリーズになっている。

2012/07/27

デヴィッド・リンチ

Untitled

リンチがいうにはモノクロは色よりももっと色を想像させる?
色はtoo much
白・黒はmuch more
そうかね?

映画「マルホランド・ドライブ」は悪い夢を見ているようだった。しかも他人の。

地上53Fから夜景に溶け込むアラブ・エクスプレス展



写真×モノトーンのアニメーション。物悲し。
開発が進むドバイの工事現場風。しあわせになるためにしている行為の中に物悲しさを感じるような。透明なアクリル板の人の形と図面、一羽の鳥が悠々と舞う。



聴いていられないどどどどどどどどどどという低音とともに石油の黒い雨を降らせている。えんえんと。地上53Fの窓からここ日本六本木の街並みが覗く不思議。これは夜見た方がこころに響きそう。

森美術館のアラブ・エクスプレス展:flickr

アートを鑑賞するにはエネルギーがいる。タイトルのエクスプレスとは急速発展しているという意味合いだそうで、エネルギーダダ漏れの私にはちょっと急速すぎた。こう解釈してくれさいという分かりやすい解説付きだがそれをよくよく読んでから観るってのもどうなんだ。でも分からないもの…。

Don’t think just feel.情報過多な世界だからもっとfeelingで右脳をきゅんきゅんするようなこと必要かもしれない。

対立、宗教、流行、歴史と並行しアラブの人々の日常が当たり前に息づいている。ステレオタイプにアラブを見ないことは認知療法的。
その悩みは作家や人々のアイデンティティーの問題追及や震災後の日本とアラブ、そして世界のつながりを考える内容になっている。そこここの人々の境遇や悩みに100%理解はできないとしても、話を聴くことや、ただそばにいて涙を流すことでよりそい、視点を変えることは可能である。そしてあちこちで展覧会を開くうち、その時・場所・人が変わる度に意味合いが変わり思いが混じるのはいいことだと思う。





























※追記
会場にあった六角形の段ボールのいす、ほしいと思った。

2012/07/14

表参道のビルのてっぺんの広告はだいたい白紙だ

ワタリウムに行ったらほとんど誰もいなかった。
Chim↑Pomは一度見れば十分。
オウム真理教の最後の指名手配犯、その手配写真から肖像画を描いた">竹内公太さんのコメントが追加されていた。
モスクワのスーパーでのゲイの抗議Video「誰もペステリのことなど気にもとめない」
心がeasy to be brokenな私は心底動揺させられたが、がんばってまた観た。
3FのJRのVideoのあるところはとても落ち着く。
TED2011のJRのスピーチはやさしさに溢れていて希望を感じさせる。一字一句がとても大切だから聞き漏らさぬようにした!
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そのあと表参道をぷらぷらした。蒸し暑かった。

ひっくりかえる展 @ ワタリウム美術館