バグダッド・カフェ
初めて観た。
いろのいい映画だった。
空、砂漠の色、肌の色。
日が満ちた空間と人の色がとても美しくて、乾いた砂漠をさらに乾かせる。
でもドイツ人の太っちょさんジャスミンのおかげで、そこに居る人たちの心が潤っていく。
「BAGDAD MOTEL」というところどころランプが点かない屋根の文字を後ろから写すとか、もうカメラが秀逸。
投げては一回りして返ってくるブーメランも。
掃除機のホースを首にかけたり。
ドイツ人のだいぶ太めの女性という異質な人物の登場が、
最初は濃くて飲めなかったコーヒーが飲めるようになるみたいに、自然と馴染んで家族になっていく。
最後はジャスミンが帰るところで終わってもよかった。
暑い日の朝にCalling Youを聴きながらブラックコーヒーが飲みたい。
2014/06/26
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」
レオナルド・ディカプリオ最新作「ウルフ・オブ・ウォールストリート」。
TSUTAYAの新作コーナーにだばーっと並んでいた。
たまにはこういうのも。
ディカプリオがこれを最後にしばらく俳優休業と聞き観たくなった。(真相は不明)
18R+。
金融の映画でなぜと思ってふたを開けてみたら下品な感じのエロと薬物を吸うシーン満載で
女性としても不快なシーンが多く確かにこれは青少年に悪影響を及ぼす。
3時間の映画だけどテンポがよくて9割がたディカプリオ演じるジョーダン・ベルフォートが出ずっぱり&喋りっぱなしだった。
ハリウッドでキチガイを演じさせたらこの人の右に出る者はいない。
薬物でラリってしまいホテルのロビーから車まで這うだけのシーンでこんなに魅せられる俳優はいないのだ。
その才能はバスケット・ボール・ダイアリーズでお墨付きだけど、年取ったディカプリオもいいなぁ。
みっともない腹とか、行為中の腰の振り方とかいやな男なんだけれど
ウォール街で貧乏から億万長者にのしあがり社員のみんなに演説する様は、新興宗教の教祖のようでも学校の先生のようでもあり、あの中にいたら誰もが感覚麻痺するだろう。
途中、タイタニックさながらに豪華客船が沈没してウケた。
でも他にコレというキャラクターが出ていなくて安っぽい映画なんだよ。
私はもうアメリカ映画には用がないのかもしれない。
TSUTAYAの新作コーナーにだばーっと並んでいた。
たまにはこういうのも。
ディカプリオがこれを最後にしばらく俳優休業と聞き観たくなった。(真相は不明)
18R+。
金融の映画でなぜと思ってふたを開けてみたら下品な感じのエロと薬物を吸うシーン満載で
女性としても不快なシーンが多く確かにこれは青少年に悪影響を及ぼす。
3時間の映画だけどテンポがよくて9割がたディカプリオ演じるジョーダン・ベルフォートが出ずっぱり&喋りっぱなしだった。
ハリウッドでキチガイを演じさせたらこの人の右に出る者はいない。
薬物でラリってしまいホテルのロビーから車まで這うだけのシーンでこんなに魅せられる俳優はいないのだ。
その才能はバスケット・ボール・ダイアリーズでお墨付きだけど、年取ったディカプリオもいいなぁ。
みっともない腹とか、行為中の腰の振り方とかいやな男なんだけれど
ウォール街で貧乏から億万長者にのしあがり社員のみんなに演説する様は、新興宗教の教祖のようでも学校の先生のようでもあり、あの中にいたら誰もが感覚麻痺するだろう。
途中、タイタニックさながらに豪華客船が沈没してウケた。
でも他にコレというキャラクターが出ていなくて安っぽい映画なんだよ。
私はもうアメリカ映画には用がないのかもしれない。
2014/06/19
「ホーリー・モーターズ」
ホーリー・モーターズ
「演じる」ことについて何かが言いたいのは判ったがそれが何かは判らない。
TSUTAYAのミニシアターコーナーで
「レオス・カラックス13年ぶりの長編」、裏を読んでみると「富豪、老婆、と姿を変えて13役を演じる」等とあり、
なんだかおもしろそうで借りた。
もちろんレオス・カラックスなんて知らない。
え、何、何なの、と目を凝らし(画が暗い)耳をそばだてながら観ていたが結局何も判らない、始終そんな感じなのです。
ドットのついた黒いタイツを着ながらダンス?するシーンなどは何が何だか判らないながら見惚れた。
不思議な色彩のある映画ではある。
リムジンの後部座席でメイクを施しながら次の「アポ」へむかう主人公。
車は美しいパリの街を走っているのに主人公は他人の人生を生きることに疲れてしまっているようだ。。
他人の人生を演じることに自分の人生の大部分を費やしているなら、自分は何者なのか。この病理。個性的な人々を演じながら、映画全体を通して描いていたのは主人公のアイデンティティーの欠如なのかもしれない。
だけどラストシーンは唐突にリムジンたちが「カーズ」さながらにおしゃべりし始めやっぱり「???」なのだった。
「演じる」ことについて何かが言いたいのは判ったがそれが何かは判らない。
TSUTAYAのミニシアターコーナーで
「レオス・カラックス13年ぶりの長編」、裏を読んでみると「富豪、老婆、と姿を変えて13役を演じる」等とあり、
なんだかおもしろそうで借りた。
もちろんレオス・カラックスなんて知らない。
え、何、何なの、と目を凝らし(画が暗い)耳をそばだてながら観ていたが結局何も判らない、始終そんな感じなのです。
ドットのついた黒いタイツを着ながらダンス?するシーンなどは何が何だか判らないながら見惚れた。
不思議な色彩のある映画ではある。
リムジンの後部座席でメイクを施しながら次の「アポ」へむかう主人公。
車は美しいパリの街を走っているのに主人公は他人の人生を生きることに疲れてしまっているようだ。。
他人の人生を演じることに自分の人生の大部分を費やしているなら、自分は何者なのか。この病理。個性的な人々を演じながら、映画全体を通して描いていたのは主人公のアイデンティティーの欠如なのかもしれない。
だけどラストシーンは唐突にリムジンたちが「カーズ」さながらにおしゃべりし始めやっぱり「???」なのだった。
2014/06/14
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