2013/12/27
「シングルマン」
ファッションデザイナートム・フォードの映画監督デビュー作でとても素晴らしい映像美であると知り、観てみた。
ゲイの物語だった。
男と男の愛についてはペドロ・アルモドバルの「バッド・エデュケーション」でおなかいっぱいだったのにそれと知らず見てしまった!
不思議なカメラワークのシーンがあったり、空がスモッグで赤かったり、壁の顔の前のシーンなどペドロ・アルモドバルと似ている感じがした。
とても緻密に計算された撮り方でどこを切り取ってもポスターのようだった。
大学の若い生徒のセーターは美しく、主人公ジョージのネクタイ、スーツ、めがねも。
夜の海のきらめきが眩い。
無駄な台詞はなくて画だけで会話の内容を見せたりする。
非言語の言語が多くを語ることが改めてわかる。
主人公ジョージは16年間いっしょにいた恋人が事故死してから彼を忘れられず、自ら命を絶とうとする。元恋人チャーリーや勤務先の大学の男子生徒などと接し、死の準備へ向かううち何を得ただろうか。
2013/12/12
「劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ」
思ったとおりの映画だった。
ロックンロールは鳴り止まないっ好き。
ちりとり。美ちなる方へ。も好き。
なかなかおもしろいストーリー。
の子の詞「あえて言わないだけです」が妙に耳に残った。
あえて言わないだけで表情がみんなのライブでの心の動きを伝えていた。
2013/12/10
「水の中のナイフ」
TSUTAYAでロマン・ポランスキーの特集あってジャケットが綺麗で借りてみた。
ポランスキーって聞いたことあるけどまるで知識なく。
ヨットの上で登場人物は3人。
「太陽がいっぱい」みたいな感じかと…
ジャズがムードがある大人すぎる映画だった。
モノクロの湖上のヨットでの一晩。
あぁ早く陸に帰りたい、3人の間の異様な空気が嫌でも伝わってくる。
ジーンズだけの若い男。
おっさんはたくましい肉体をしており。
クリスティーナは正面の顔はあまりお綺麗ではなく身体も太めで白い水着姿。
私にはまだ早すぎるムードたっぷりの映画でした。
2013/11/29
2013/11/28
「バッド・エデュケーション」
全編通して男だけで成り立っている映画。
男、みなゲイ。
主人公イグナシオを演じる俳優さんのオカマ役がすばらしい。
男の女装ではないし、歌舞伎の女役に近いような、完ぺきなオカマ(女)っぷりで、服を脱いでもオカマらしく見せられるってすごいな。
「トーク・トゥー・ハー」の主人公・マッサージの手つきがやたらうまい男性が出てきたよ。
あの顔は忘れない。なんとオカマ役!
サスペンス的な映画ではらはら目が離せない。
アルモドバル監督特有の劇中劇も出てきたり、イグナシオが恋しているエンリケは映画監督なこともあり映画のセットもうまく現実のストーリーと調和していて、この人は、演じるとか、舞台やステージの裏とかが好きなんだなぁと思った。
いつも楽屋のシーンがある。
色や映像、空間のうつくしさに驚く。特にイグナシオがプールでエンリケの頭の上を通り抜けるシーンはきれいだったな、白いブリーフがなんとも。
ゲイの愛や恋愛、失望は男女のそれと何も変わらないね。エンリケがもっと強かったらよかったのに(彼はアルモドバル監督自身?)
最後の文章はうーん、いらんやろ。
2013/11/26
「キカ」
TSUTAYAをぶらぶらして今日は特に借りたいのないなと思ってたらふと目にとまり、パッケージを見たらアルモドバル監督映画だった。
KIKA
何なんだこれは?
スペイン版時計仕掛けのオレンジみたいなテイストかな。
猥褻で、はちゃめちゃで、出てくるのはおかしな人ばかり。
背景や映像、衣装はとても美しくてデザインのしごとなんかしてたらきっとインスパイアされるな。
訳わからない意味はない。意味はなくていいんだと思った。こういう映画もありだと思った。
2013/11/19
「オール・アバウト・マイ・マザー」
「オール・アバウト・マイ・マザー」。
ペドロ・アルモドバル監督の映画3本目!
1本目「私が、生きる肌」。2本目「トーク・トゥー・ハー」。
DVDのパッケージは黄色が効いてるけど映画の中身は赤と青のコントラストが効いてた。
部屋の壁が赤で下のベッドカバーが青だったり。そこに部屋に入ってきたお母さんが赤いTシャツにブルーのデニムだったり。空間に溶け込んで。なにこれ、狙ってるよね。って。
All about my Mother。
Motherの物語と思ったらいきなりオカマとか売女とか出てきてびっくり。
でも母と性とは切っても切り離せない物語。
オカマも母から生まれたし。父がオカマになることもある。
頼りがいがあって、ポジティブで、行動的で、知的で、誰よりも男前な母の姿に拍手!
印象的な台詞に、母がオカマの父を指して「男と女の悪い部分を両方持った人間よ」と。
うーん、すごいコトバだ。
監督はゲイなんね。
最後に「母になりたい人、男から女になりたい人、私の母へ捧ぐ」とメッセージ。
母、性、性転換、移植、意識、脳死、認知症…。そういったことへの関心が「トーク・トゥー・ハー」や「私が、生きる肌」へつながっているのかな。
ひっくるめるとそれは「自分らしく生きるとは」なのかもしれない。
「甘い罠」
「甘い罠」
主演の女優イザペル・ユペールさんがひたすらに怖い。
美人だけどポツンとした冷たい目をしてて。
別に何するでもないのだけど…。(怖いしぐさを)
睡眠薬入りのショコラ(ココア)を淹れて飲ませてるだけなのだけど…。
コッワイな。
背が小さくて、ピンクや白いニットを着ていても人間としてのかわいさが微塵もないのは愛し愛されることを知らずに生きてきたから。
それがあの「ポツンとした冷たい目」に終始あらわれてる。
「葬送」というピアノの旋律が効果的に使われている。
ピアニストの夫はもう浮世離れした芸術家だし睡眠薬中毒でボーっとしてるしで、男もっとしっかりせんか!って感じだね。
医師の母役の女優さんはきりっとしていて。さいきん、いい年の強い女に惹かれる…。
「ココアはいかが?」たびたび出てくる台詞。
ショコラ?って語尾の響きがかわいいのに、ほんとに甘い罠だね。
2013/11/15
「セックスの向こう側」
陽の当たらないAV男優さんをインタビュー形式で撮ったドキュメンタリー風の映画。
男優さんごとにまとめたら、もっと見やすかったかも。
編集がぶちっぶちって切れるから、えー今の続きもっと聴きたいのに、ってなった。
ちょっとがっかり。
セックスほどプライベートな行為ってないのに、カメラマンがいる、音声さんがいる、監督がいる、そんな中で理性をコントロールしてごくごく私的な姿を晒すっていうのはすごい世界だな。
10000人のAV女優に対してたった70人のAV男優。
もちろん誰にもできる仕事じゃないし、ある意味AV男優になるべくしてなった天性の素質がないとできない仕事だね。
プライベートのセックスと撮影現場でのセックスって違いますか?の質問にも、僕は同じだと思います。って人と、ちがうに決まってるでしょ。って人がいて、みんな考えがさまざま。
日陰のAV男優、決してメインにはならない彼らのしごとへの想いはとても人間くさかった。
経験もあるんだろうね、加藤鷹や年配のAV男優さんはいろんなこと想いながら生きてきたんだろうね、
もっと深いことばをもっていそうで、それがこの映画ではまだまだ出来れていなかったな。
次があるなら観たい。
2013/11/05
「引き裂かれた女」
「引き裂かれた女」
フランス映画。
若くてきれいなお天気おねえさんと30歳も年上の作家との恋愛。
作家には富も名声も、妻との信頼と愛まであり。
連れて行かれたオークションで落札した稀少な詩画集をプレゼントされ、「PARADI(天国)」と描かれた別邸に連れていかれたらもう「キスしたいの」と言ってまうわな。
初老にさしかかった大人の男の知性、会話、性的魅力にすてきと憑りつかれてしまうんだな。なおさら、頭の悪そうな同年代の男などお子ちゃまに見えてしまう。
先日園子温監督が「英会話をやめて性会話!」とスローガンしていた。園子温のいう性会話は「風俗行かずにバーで女を口説け、そしヤレ」。
この映画には性会話があった。
まずみんなたくさん褒める。着ている服のこと、連れている人のこと、あらゆること。意中の人だけじゃなく友達、誰でも、褒めちぎり、自分はこれだけあなたを好きだよというありったけを伝えるし、
男と女の会話のあいだには「この後セックスするか?どうか?」の微妙な空気が常にゆらゆらと揺れている。
これこそ現代日本人が失っちまった性会話!最も苦手とする性会話だ!もっとやれ!とわたしゃ思ったね。
うん、こんなこと久しく言われてないし言ってない。なんてさみしいんだー。
お天気おねえさんはリュディヴィーヌ・サニエ。
個性的な顔しているけどほんと綺麗でかわいいんだー。最初のメイクはおばけだったが。
作家の男の右腕で友人の女性はいつも衣装が黒。奥さんは白。その対比もフランス流なのかなと見てた。
引き裂かれ具合はなるほど。きれいなまとまりの映画でした。すてき。
2013/10/22
「シレンとラギ」
シレンとラギは舞台を映像化したゲキ×シネの一本。
舞台から映画を作ったという前情報しか知らずに観たら、とてもおもしろかった。
これは舞台以上だと。
音響がすごい。カメラワークがすごい。役者さんがすごい。
この臨場感は舞台以上のものではないかと。
役者さんの表情や汗やアイメイクや爪の先、髪の毛一本まで迫って観ることができるため、広い舞台を遠い客席から眺めるよりもうんといいのではないかと思った。
細かい演技をしている役者さんの動きも見逃さないし、客席から観られている役者さんの表情はなんとも恍惚としてアドレナリンがたぎるのが伝わるのだ。
高橋克実はかつらなしでいつものあの頭なのにもみあげだけはごっそりと生えていて、それだけで南の王の不気味な偉大さが伝わってくる。
古田新太はコメディはよくみるがこの映画の中ではギャグ要素はほとんどなかった。強く恐ろしく頭がキレ頑固なおやぢだった。
永作博美。きれいだった。あんなに小さくて白くて華奢なのに男の中で刀を振っても少しも小さな女性に見えなかった。
藤原竜也はブレなかった。いろんな映画の中でいつも殺し合いをし、怒り喚き、裏切られて失望し、衝撃の事実を告げられ仰天する藤原竜也は健在だった、舞台でもちっともブレない。
永作博美の上にまたがるシーンも尻を浮かせてのらないようにしている。そんなところまで見えて、優しい人なんだと思ったよ。
チャンバラシーンでの刀のシュッシュッとこすれる音は音響で後から足しているものなのだろうか。
とにかく音とカメラマンがすばらしかった。
セットを組んでシーンを演じ暗転したらまた次のセットを…という舞台の限られた空間の中であんなに躍動感のある見せ方をできるもんなんだな。
一人でも仕事が完成する自分からすると、いろんな人が関わってひとつのものを作り上げるってすごい大変なことだし人を感動させる仕事に一直線なんだなぁってことに映画のストーリー以上に感動した。
2013/09/27
2013/09/11
「八日目の蝉」
独身喪女30歳でも十分入り込むことのできる内容だったがヘビーだった。
子どもがいたり、結婚を考えていたりすればなお胸にくるものがあるのかもしれない。
小豆島で子どもとしあわせに暮らす女。
どうかふたりをこのまま暮らさせてあげて、と私でさえ思った。
だがその女は不倫相手の幼子を誘拐し、我が子として育てている誘拐犯。
この人はやはり異常なのだろうか?
こんなにまで母親の顔をしていて、
子どもはママを愛していて。
重くて前半は気乗りがしなかった。
こんな内容ながら、赤ちゃん・子ども達を使ってたいへんな撮影だっただろうなと思ったけれど
子ども達の演技力があり台詞が棒読みでなかったのがよかった。
永作博美、井上真央、小池栄子もすばらしかったのと
やっぱり映像のつなげ方がうまいと思った。
薫(井上真央)が小豆島の町並みの中で徐々に、私ここにいたことある…と思い出す辺りなど、
音声と画と光と影が…上手に作られていた。
私はこの人たちのように私の子どもに世界中のきれいなものを見せたい、と思える日が来るのだろうか。
いつかそんな母の感覚を感じられるんだろうか。
2013/09/03
「ウィンターズ・ボーン」
ジェニファー・ローレンスの眼差し、表情が秀でているが、それ以外は退屈な映画ではあった。
17歳ながら家族を守っていかねばならないのでそりゃしっかりもしてくる。
出てくる大人はみなマリファナを吸いラリっているか暴力的。
知っているが言わない、とみな口癖のように言う。
非常に寡黙。
こいつもか。。みたいな。。
リスがいる森と小さなトレーラーハウスが点在する村の閉鎖的な社会で彼女は早く大人になるしかなかった。
ティアドロップ(彼女の父の弟)が、殴られた彼女を迎えに来るシーンがかっこいい。(ラリってはいるが)
2013/09/02
「トーク・トゥ・ハー」
借りた。
情熱的で、もの悲しい、愛の物語だった。
主人公は二人の男性。
昏睡状態にある女性を献身的に看病し続ける看護士と、
女性を愛する度に去られてしまう新聞記者。
二人は対照的。
看護士の男性は、相手の反応がなくとも盲目的にに愛することができ、その愛するきもちによって自分の心にも豊かさを感じている。
だがその愛は一方通行。その身勝手さがのちのち大きな問題をひきおこしてしまう…。
個人的には、彼のマッサージの手がとてもなめらかだった。人の世話をして自分が喜びを感じるのは私にはよく分かるところだけど、
彼の愛は行き過ぎてしまっていた。
悲しくて、残酷な、愛を探す旅。
しとしとと雨が降る中での男の友情の会話も雰囲気があってよかった。
アルモドバル監督の映画製作のテーマは「それが愛と言えるのか」なのかもしれない。経験豊富ではない私はまだ愛のことは分からない。
スペインっぽい情熱的な音楽を聴いたり闘牛士が使うような真っ赤な布を使ったりしたくなった。
2013/08/29
ふたたび「私が、生きる肌」
やっぱり変態的だった。
こまかい点に気付いた。
狂気の形成外科医ロベルが監禁しているビサンテの元に行き、ライトをかざす。
その肌の品定めをするのである。
肩に真紅のタオルをかけたロベルの姿はまさにキリストだった。
だが、彼は神ではなかった。
全ての皮膚を移植してその人を別人に変えても心までは変えられない。
皮膚はその人の外面を形作るが、心の入れ物にすぎなかった。
亡き妻の分身を創作し望むすべてを手に入れたかに見えたロベル。
結局妻の心も娘の心も手に入れることができず、さらには母の心さえ知らないロベルは実に哀しい人物だった。
後半に彼が盆栽のようなものをやっているシーンがある。
(盆栽にしてはでかすぎるが…)
彼は意のままになる盆栽が好きだ。それは人口的な箱庭だ。
彼は「普通の世界の人」ではなかった。
彼は屋敷の中で何をしていたか。
ビサンテは服屋をしている。
冒頭に登場するロベルの腹違いの弟"トラ"は虎の仮装で現れるし
ロベルはしごとから帰るときつく絞めたネクタイを緩める。
手術のときは緑色の手術着を着る。
メイド、マリアナは制服を着て仕事モードに入ったり、
娘ノルマはパーティの歩きにくいパンプスを「閉所恐怖症になりそう」と脱ぎ捨てる。
ベラは肌色のボディスーツ姿だ。
服はその人が何者かを語る。
ベラが服を切り刻むシーンがたびたびある。ベラの「自分は何者か感」は壊れていたのである。
服そのものが「私が、生きる肌」でもあるんだと思った。
2013/08/25
「私が、生きる肌」
「私が、生きる肌」。
どぎも抜かれた。
映像の美しさと肌の美しさ、恐ろしい展開。圧倒された。
アントニオ・バンデラス演じる天才形成外科医の狂気とも言える愛が、盲目的に突き進む。その先には、倫理観もまるでなく、
ひとりの人間をパズルをはめるように別の人間に変えてしまう。
ベラ役の女優さんエレナ・アナヤ。大きな瞳で美しくとてもチャーミング。日本人好みの顔をしている。
第二の肌のように身につけているボディスーツは、ジャン=ポール・ゴルチエ。
奇妙で不思議な、観る者を惹きつける姿・形をしていた。
肌のもつ柔らかさ、人それぞれの唯一無二の質感は、人間のアイデンティティそのもの。
肌を失うことは自己を失いかねない重要な問題だった。
アントニオ・バンデラス、今回は立派な胸毛はなりを潜めていた。こういう役の方が魅力的に見える。
グラス、食器、壁、家具、照明、絵画、手術道具まで、何もかもおしゃれだった。
おもしろい映画を観た。
2013/08/20
「紀子の食卓」
監督が愛のむきだしでも冷たい熱帯魚でも追っていた同じテーマで
家族とは、自身とは、とかで正直くどかったけど
ずっと観たかったから観れてよかったと思ったりはした。
主人公紀子は家族を捨て学校を捨て、停電の夜に家出をする。コインロッカーで生まれたクミコ(上野駅54さん)を頼り、東京でレンタル家族をする。
主演は吹石一恵。
途中、洗脳されたような表情は、新興宗教を描いた愛のむきだしを思い出させた。
妹役吉高由里子が最後の台詞「(家族を)延長しよう」ですべてもってった。
父親は厳格で、娘たちのことなど何も分かっていなかった、とまざまざと見せつけられ、泣くのだが、
それくらいの出来事が家族を再構築するきっかけになったから、園子温物語の中では幸せなストーリーだった。
2013/07/20
輝く
昨夜は先生の接客する音を端で聞いていたのだけど、あの輝きっぷりはすばらしいと思った。
自分が生涯を通して情熱を傾けるものをお客様にご披露しているの。
簡単に言うと、アロマテラピーやタイ古式マッサージという癒やしの療法なのだけど、
うまく言えないが、
自分の好きなもの・信じているものを一生懸命お客様にお伝えしている姿は、キラキラしているのだった。
2013/07/19
何者でもなさ
例えば職についていないとき、自分は何者か。
「お父さんたちの子どもだよ」と父に言われたとき、その当たり前さに愕然とした。
それだけなのかと。
自分がどこのだれで何をしているのか、それがはっきり言え、実感できたとき、初めて自分の足で立てると思った。
2013/07/11
レオ・レオニ展
小学校1年生のときにレオ・レオニの「アレクサンダーとぜんまいねずみ」が載っていた。
その頃は絵のグラフィックな美しさを学ばなかったが「むらさき色の小石」はきれいだと思った。
レオニいわく、「絵本の主人公はみな、昔小さなガラスのアクアリウムの中で飼っていたトカゲだった」
とても印象的だった。
小さな瓶の中でしか生きられないの、
そこでなら生きられるのね。
「さかなはさかな」の物語も、カエルのまねして、外の世界に憧れ水の中から出てみたくなったさかなが意を決し陸にあがるけれど息がくるしくなってやっぱり水の中が自分の生きる場所だと帰っていく物語。
さかなはさかなさ!っと言って自分の棲む場所のすばらしさに気が付くんだ。
私も、いつも居場所を探してる…。
居心地のよいところ。
陽のあたるところ。影のあるところ。
狭い世界から出たくて冒険してみたり閉じこもってみたり。
はずかしながら
個性とは何か
孤独とは何か
自分とは何か
とか探してるんだよね。
この年になってまだ判らないで。
そういうのは何も、あ、私だけじゃなかったんだ、なやんでいるのは
みんなも同じなんだ
とね。
ゴムはんで押したという葉っぱたち。心に残った。
美しかったし、
何よりも、はんで押しているからみんな同じ形をしているの、でも、色がちがう、かすれ方がちがう、濃淡がちがうの。
それはみんなと同じ私でもあり、個性がある私を意味していた。
そう思うと、身の丈にあった生活の中で居心地のよさを感じて、自分にしかできない暮らしを、自由にやっていいんだ、って思う。
レオ・レオニがそんなメッセージをくれていたと絵本を読んだだけでは理解していなかったからよかった。
最後に…眠そうな目をしたフレデリック(ねずみ)の小さなぬいぐるみがあまりにもかわいくて買ってしまいたかった。
「恋の渦」
出てくるのはゲスな男の子女の子ばかり。
嫌な奴らだと思いながらも、それが誰かに似ていたり自分の中にもそんな要素があったりして
客観的には笑え、会場はケタケタくすくすしてた。
役者さんのファッション、部屋はその人が語る言葉よりももっとその人のことを語る。
役者さんの表情、言葉の選び方もよかったし、低予算で4日で撮ったと思えない映画だった。
個人的にはユウタの唇がえろかったな…
上映後、ロビーに出演者の方々と大根仁監督がいらっしゃった。出演者さんはみんな映画の中とはまるっきり違っててみんな役者はスゴい、と言っていた。
2013/07/08
振られている手紙
彼は日本人だけど英語で
"I didn't try to get close to you more, but you should know I really like you."
と書いてあった。そして
"It's better for us to keep this good relationship."
私はやんわりと振られているのか。
2013/07/06
2013/07/01
2013/06/14
妊娠
予定日は1月21日。
今はつわりがひどく、何も食べたくない、何を食べれるかも分からない、と弱音を吐いてる。
今日は旦那さんが帰ってくるのが遅い。
おうちでひとりでいる妹を思うと駆けつけてあげたくなる。
2013/05/10
にんじんとうめぼし
以前クックパッドで見つけて以来、何度も作っているにんじんのうめぼしマリネ。
酒の肴や、夕食の副菜にちょうどいい。
材料も、にんじん、梅干し、お酢、オリーブオイル、白ごま
だけでできる。
詳しいレシピはクックパッドでにんじんとうめぼし、で検索してください。
おためしあれ。
2013/04/25
離れがたいヒト
地元に離れがたいヒトのひとりもいなかったため感傷もなく上京したけれど、ここにきてまた、4年間の東京生活で離れがたいヒトのひとりもできずに移住する。 恋愛はしたけど実らなかった。
友だちはできなかった。
離れがたいヒトがいないのが哀しい。
やっぱり私はどこかおかしいかな?と思わずにはいれない。 カウンセラーの先生と主治医にお別れをするのが哀しくつらい。
またあたらしい先生は不安がある。
またあたらしい環境は不安がある。
ただ、躁うつの気色ありで…もう生きていけなくなった。 いつか終わりがくるならば最初から出会いたくない…。
私は寂しがり屋だから、そう思ってとても苦しい。
2013/04/12
双極性障害か
私はないですと答えた。いよいよ私に処方されているお薬が双極性障害のそれっぽくなってきた。
自分ではいわゆる躁うつ病の人のような躁のエピソードはないと感じている。けど先生が言うには私のここ10年くらいの出来事を聞いていると、「気分の浮き沈みがある」という。
私としては「浮き」はなくて「沈み」ばかりなのに、なぜ気分の波があるなんて言われるのか分からないし、なぜ抗うつ剤じゃなく気分安定剤を使うのか分からない。
躁うつ病の人は躁のときに病気だという自覚がないとか、家族はうつだったのが躁になったのを「元気になってよかった」と思ったりする、自分自身も躁でいてくれた方がいいと思ったりする、などと本に書いてあったけど、私がもし調子がよく暮らせていたと思っている過去の状態が躁状態であったとするなら、いったい私の病気じゃない部分ですこやかに暮らせていたときはいったいいつなのか、と思う。
だいたいずっとうつなのです。うつが長い。ときおりあった調子のいい時代(19歳の頃と26、27、28歳の頃)が躁だったと言うなら、私の普通の状態はどこなんだ、と思ってしまう。
「ヒッチコック」
「ヒッチコック」
アンソニー・ホプキンスは苦手…。
子どもの頃見た「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」での演技がおっそろしくて仕方がない。
「サイコ」の舞台裏を通じてヒッチコックとその妻アルマのパートナーシップを見せる。
(「サイコ」を借りてきて観たいけどひとりでは観る勇気が出ない。)
アルマがとてつもなくかっこいい。
アルマがいないとヒッチはアル中の大きな子どもっていう感じで、二人の夫婦としての形はうちの父・母を見ているようだった。
喧嘩をしながらも、夫婦として、仕事のパートナーとして、友人としてお互いなくてはならない存在として連れ添った二人。
若くお金もなかった頃、二人でこつこつと映画作りをしていた、その頃の楽しさをもう一度感じたい、とアルマに打ち明けるシーンはとても和む。
ヒッチコックのおなかのせり具合、陰気な覗き見趣味、いつも同じ黒いスーツに同じ黒い細いネクタイ、パジャマ姿がかわいらしい。
映画監督としては自信を持っているところもあるけれど、度を越えたナルシシズムは自分に牙をむけてくる。それを食べることとアルコールで曖昧にしているような人で、ほんとうは傷つくことを恐れている。
アルマが男性といることに嫉妬し、「きみはボクが困っているのに手伝ってもくれない!」と怒りをぶつけるも「何言ってんのよ!デブ!ブタ!(そこまで言ってない…)私はあなたの妻よ。30年間あなたの映画作りを支えてきたのは私じゃない!」と言い返す。
アルマの迫力がすばらしかった。
アルマ役の女優さんはヘレン・ミレン。どこかで見た顔と思ったら「エリザベス」の人。水着姿は萎えるけど強い女性はすてき。おっきなレンズのめがねも時代を感じる、かわいい。
黒縁めがねに真っ赤な口紅の助手の女性もすてきだった。
しかし、金髪美女が好きで、控室を穴から覗き見したり、ブラインド越しに執拗に見てたりする映画監督ってのはとてもきもちがわるい。
「ボクたちの交換日記」
…普通の映画だった。
一緒に行った母は途中で持病の鼻炎になり鼻がぐしゅぐしゅしているみたいと思っていたら感動して泣いていたようだった。
2013/04/10
「知りすぎていた男」
知りすぎていた男
主演は「めまい」のジェームス・スチュアート。背が高い。男前。
冒頭のモロッコでの食事のシーンでは長すぎる足をどうしようかと悪戦苦闘。おもしろかった。
スパイによる政治家暗殺に巻きこまれる家族の映画で、派手さはないけどとってもおもしろい映画だった。
奥さん役ドリス・デイがかわいい。
ケ・セラ・セラを唄う。映画を観終わっても歌声が耳から離れない。
ケ・セラ・セラ〜♪
2013/03/25
2013/03/24
2013/03/21
2013/03/15
ありがたいこと
できる範囲で手伝いたいが長時間労働は体がもたない、役に立ちたくても立てない自分が歯がゆい。
気力だけで乗り切れないもの。
それでも私に声をかけてくれる、なんてありがたいことなんだろう。
ほんとうにありがたいことだ。
それだけ相手が困っている、ということも分かる。
やっぱり頼りにならない自分が歯がゆいけど、なんとかしてあげたいと思うよ。
2013/03/14
ヨガをしに。
何回か来ているスタジオ。とても広い。夏場は風がきもちいい、冬はちょっと寒かった。 今日はがらんとしてて、生徒私だけ。
ちょっとどきどきするけどやりやすい。マンツーマンのレッスンなんてラッキー。 タイマッサージのセラピストだとは言わない。そう見えないほど体がかたいし猫背。 息が苦しいとここに来て酸素をいっぱい吸える体になって帰る。 自律神経の調子がまだよくない。
苦手なのは立ち木のポーズ。フラフラする。 私だけだったので壁を使ったヨガも教えてもらった。体にバンドを巻いたり、おもしろい。
息が楽になる。
うつ病、自律神経の乱れ、パニック障害、いろんなメンタル系の不調にはヨガが最適。
その日はくよくよせず、前向きになって心おだやかになって過ごした。 帰ってきてからも姿勢がいい感じ。
壁を使ったヨガをさっそく家でやってみたりして普段なら何をやってもへとへとなのに疲れにくい感じ。
ヨガの時間が終わった後もじんわり効果が続いてる。
寂しさとか。またか。
次々と湧いてくる泉みたいに寂しさの泉はちっとも途切れない。 20代の頃は年齢的にそういう時期かなって思ってたけどこの病的なまでの寂しさはときどき自分で抱えきれないくらい大きくなる。 なんだろうなってずっと思っていたけど、私には私がないからなのかな。
意思とか自分ってものがない、芯がなくてぶれぶれ。
もう31才なのにこんなじゃ生きてるの苦労する。この世に希望とか夢とか愉しみとか何も感じられない。
2013/03/07
2013/03/01
2013/02/27
「太陽がいっぱい」
なにげに初観賞。
リメイク版「リプリー」の方を数年前に観ていた。
あちらはジュード・ロウにマット・デイモン、
女性はグイネス・パルトロウ。
緑色の衣装での統一がとっても美しい映画だった。
さておき。古い「太陽がいっぱい」はアラン・ドロンの長い脚に怪しく輝く目がとても男前。
灼熱の船の上での完全犯罪。
太陽だけが知っているはずだった。重大なミスを犯していたことに気付かずすべてを手に入れたと確信したときの台詞が
「あぁ、太陽がいっぱいだ」。
この訳を考えた人すごいセンスあるなぁ。
イタリア・フランス映画で不思議なカメラワーク。現代にない感じ。
少し「刑事コロンボ」っぽい(あちらがマネしてるのかー)間接的に見せる。
今の映画は直接的だからかなぁ…。
2013/02/24
2013/02/23
2013/02/22
今日のGoogle―エドワード・ゴーリー
ということで
「Googleがゴーリキだよ!」と親から電話がかかってきました。(剛力彩芽?ちが…
Gのとこにいるのがゴーリーですね。めがねかけてる老人。ねこも好きなのでいっぱいいますねー。
ゴーリーは日本語に翻訳されたものはほとんど図書館で読んだと思いますが
どうしてもほしかった3冊は持っています。
「おぞましい二人」「不幸な子供」「華々しき鼻血」。
「おぞましい二人」は傑作です。初めて読んだとき震えがし、すぐさまもう一度読みました。
そのおぞましい内容に、冷静な作家の目に、細かな絵に、そして訳者柴田元幸さんのすばらしさに驚愕したもので、
しばらくはartificial grape sodaという言葉が頭から離れませんでした。(読んでみてください)
この本はマイラ・ヒンドレーとイアン・ブレディー(うろ覚えだったらすみません)という二人が荒野の別荘に子供をたくみに誘いだし惨殺するという当時のイギリスを震撼させたムーア―ズ事件を元にして、ゴーリーが生涯書かざるを得なかったのはこの本だけとも
言っている非常に重要な本です。
「不幸な子供」
これも「おぞましい二人」と同じくらいタイトルもすごいが「不幸な子供」そうとしか言いようがない。
細やかな挿絵に、容赦しない不幸の連続、そしてさらなる不幸を盛ってくるゴーリーの奇人たるや感動的です。
「華々しき鼻血」
この3冊の中ではいちばんきれいな淡い桃色の表紙。中身は桃色を裏切るわけの分からない本です。
英語が分かったならもっとおもしろかったかもしれないが
「おぞましい二人」同様柴田元幸さんの訳がほんとうにすばらしい。日本語をよく知っていないと書けない訳に、
シュールを通り越して変すぎるゴーリーのユーモラスが和む大人の絵本です。
他にも本屋さん・図書館にもいっぱいあるので見てみてください。
2013/02/14
けんちゃん
叔母の子ども(私のいとこですが)女の子が27歳、男の子が24歳と二人いる。
離婚してから二十数年一度もお父さんに会っていないみたいだ。
顔も知らないお父さんに会いに行くというシーンのある映画を観た。ふと思ったのがいとこ達は一度でもお父さんに会いたいと思わないのだろうか、だった。
私たちの親類の中でお父さんであるけんちゃんはその映画のお父さんと同じく「ひどい人」という位置づけになっている。
けんちゃんの話題が出てくるのはおもしろおかしく話される場合のみでタブー視されてる。
私が小学校2年生くらいだったから、いとこたちはもっと小さかった。
昔のアルバムを開いてみると笑顔の叔母、けんちゃん、遊んでもらっている私の写真がよく出てくる。
なんだかたぶんいちばん遊んでもらっていたのは私だった。
叔母たち家族はひととき埼玉で暮らしていた。いとこたちは今二人とも東京にいる。
もし彼がまだ埼玉かこの辺りにいるならば近い距離、会いたいと思わないのだろうか。
叔母たち家族は最初からけんちゃんなどいなかったかのようにずっと暮らしてきた。
生まれてすぐいなくなったお父さん。いまさらいらないのだろうか。
私が言うことでないが会ってみてもいい気がする。
訳があっても、成長を見ることのできなかった子どもたちのことを彼が思い出さないはずはない。
生きているのか死んでいるのか。ひとりなのか。再婚しているのか。もし子どもがいるならなおさらいとこ達にとって兄弟がいるかもしれない。
知りたいと思わないのか。知りたくないのか。
いとこ達にはこのことをうんと酔っぱらって話も尽きて柄にもなくまじめになった振りをしてくらいにしか口に出せそうにない。私が言うことでないが気にしてる。
2013/02/05
ゆらゆら帝国
聴かされてるうちに覚えてしまった「愛のむきだし」の主題歌だった。
目に鮮明に焼き付くは満島ひかりの白いパンツ。
私空洞です。
CMで流して…どんなシチュエーションでこんなフォークなムードにいやしかしアンニョイな音楽を使う。 "僕は空洞 面白い"
2013/02/04
さみしさとか孤独とか
小さなコップからお水があふれるみたいに私の処理できる範囲をかんたんに越えてしまうよ。
さみしいと感じた事がないと言う人に出会うと宇宙人のように思える。 なんでこんなにさみしいんだろう…これは何?
もう何年も十分に感じてきたはずなのに処理するのが一向に上手にならない。
なんだか私はひと様にこのさみしさをおぶってほしいと思っているところがだいぶある。
でもそれはしちゃだめだと分かっているからなおさらぎゅうって自分を堪えたり律したりする。
そんなとき抱きしめるのは中学生のとき買った灰色になったスヌーピーと妹にもらったアルパカ。
私はこのさみしさのクッションをぎゅーするよ。 まくらのにおいを嗅ぐと自分の匂いしかしなかった。
これが好きなひとのまくらならずっとくんくんしていたいよ。それがあっら、あともう10年くらいは平気そうだよ。
2013/02/02
「インシテミル」
なんか突拍子がなかった。 デスノートやらカイジやら。
藤原竜也は金ほしさに死のゲームに参加するマンガ俳優みたいで、この人ほどうわあぁぁぁと呻き声をあげながら床なり壁なりを這いつくばって逃げる演技が上手い人はいないだろう。 そんなことはどうでもよくて、
家族ものとか青春をすぎた若者の話とか狂ってない、もっとhumanな映画に出たらどうだろう。
2013/01/30
ラプソディ・イン・ブルー
偉くなる前は早朝出勤し帰るのは23時頃だった、そのおかげで今そうだが
毎日コンビニに寄ってつまみとビール2缶を購入し
その日の朝刊ととともにいそいそとダイニングに広げては夜の早い時間から晩酌している父を
それしかやることないのかと呆れきっていたが
今その父と同じことをしている。
いやそれよりひどい状況の私だけど
仕事が終わった後のビールの美味さは格別なのはもちろん
そうでない日も日の高い時間からのビールプシュッに何の罪悪も感じない。
子どもの頃は仮病を使って休んだ日にはみんなが勉強しているであろう時間に家でゴロゴロすることに
罪悪感を感じたものだけど。
そしてたまには精神薬とアルコールを一緒に摂取する実験的試みをしてみれば
その直後から顔面が溶けそうな具合の悪さが襲い、頭が痛くなってもうこんなことはするべきでないと思うのだが
翌日にはそれもけろっと忘れてまた同じ人体実験をしてしまうのである。
医師が言うには「お酒強い人あまり眠剤効かないからね」。
父も母もお互い奪うようにして酒を飲むし妹も酒飲みが好むような珍味が好きだが私はアルコールには強くないと思っていた。
アルコールには気分を沈ませる作用がある。
精神薬の効能をアルコールで打ち消しながら飲んでいるのは不思議な感じだ。
あるとき医師に「セントジョーンズワートのハーブティーは飲んでもいいですか」と私は問うた。
私はセントジョーンズワートティーを紅茶代わりに飲んでいた。
医師は「飲まないで」と言った。
ある抗うつ剤の説明書きに「セントジョーンズワート含有物との併用はしないでください」
と書いてあるのはその薬と同じく気分を鎮静させるから併用すると同じ作用を増大させてしまうからだった。
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西村賢太の小説「苦役列車」に風俗嬢である女性のことを「糞袋」とあった。
そうした印象的な言葉が多いその小説だが、読んでいてそれが一番笑えるようで笑えない衝撃的な言葉だった。
苦役列車の主人公はそれは卑屈でいやな奴だけどこの人に感情移入する女の子って私以外にいるんだろうかと思った。
私は少しだけこの主人公の気持ちが分かった。のは自分が同じ部類の人間だからだ。
私は自分が風俗嬢でなくても糞袋である自覚があった。
糞袋とはひどい言い方だ。でも笑える。私は男性にとって糞袋にもなりうるんだ。そして男性は女性を、私を、糞袋として見ることもあるんだ。
そう思ったらおかしいやら悲しいやら腹立たしいやら、とにかくいろいろな理由で私は「糞袋」という表記を気に入った。
西村賢太。この人はお昼の有名番組で何の迷いもなく「デリヘル」とか言っちゃうような男だけれど
なんだか憎めないくまみたいでかわいいのは目が小さく、体つきはぽっちゃりしているからだ
そうそれはテディベアの形状と同じ。
2013/01/26
2013/01/24
「結び目」
色がとてもうつくしい。
一眼レフの動画機能で撮影したそう。
木漏れ日はより温かく、森林の緑はより深く、蛍光灯の青はより冷たく、うつる。
台詞が少ないので表情で表現しなければならない役者さんの演技。とてもすばらしく引き込まれた。
生徒と教師という禁断の愛を14年前に経験し再会した二人はお互いにすでに家庭を持っていた。女はリアリスト。男は夢の中にいる。
人は身の丈にあった生活を送っていくものだな、と思った。
2013/01/22
早起きしたある日の
それでもまだ寒いけど、茶色いあじさいがカラカラにしな垂れているのを見つけたり、こう指の隙間から陽に手をかざしてね、まぶしいな、と思ったり。
そんな感じで大学の構内を歩いていると、気持ちがすーとしてきた。
初めて読んだ「100万回生きたねこ」。
100万回死んでも、100万回生きても、悲しくなかったとらねこ。
美しい白いねこに「そばにいていいかい。」と言ってから、
ほんとうの意味で生きたとらねこ。の話。
こんな物語だったんだ。
: :
駅のホームで体どうなってんの?ってかっこでちちくり合う高校生カップルに軽くイラッとしながらも(うらやましくて…)あてどなくこだちをさまよい都会の人人人から弾き出された。
献血ルームに行ってみた。
受付のお兄さん前回と同じ人かっこいくてさわやか、男前。
ちょっとお話してるうち
「成分献血の方がお好きですか?」と。
いやはぁ。好きも何も。お兄さん血フェチみたいでいややわぁ。
「っていうか…ああなたがスキです(≧∇≦)」
なんてギャグは言わんけども。
(成分献血だといらないもの戻ってくるから自分の身体が楽。戻ってくるときちょっとゾゾゾワワっとするけど)
そのあとお菓子をいただいたり、お茶を飲んだり雑誌を読んだりほえーとして過ごす。献血デートしてる人とかもいた。
もしこの血をすべて吸い出してあたらしく生まれ変わったなら…
やさしい人になりたい。
2013/01/20
愛や欲望や存在
「愛は相手がそこに在ることをただ認めることだ」 欲望心とでもいうか(きれいにいうと恋心)が強い…。
自分を愛しもせず「相手のため」と言ってしていることは、結局自分のためだ。
相手の心に触れようとしていないから、そのあざとさが伝わってしまうようだ。
だからその人は愛されない。 セックスをするとぽっかり空いた心の穴がその一瞬埋まったような気がする…気がする…気がする…だけ! ここで間違っていけないのはそれはあくまでそんな気がするだけだということだ。 埋まらないのですよ。そんなことをしても。何百、何千回しても、心の穴にパズルのピースのように相手を押し込んでも、それが決して自分の心の穴を埋めることにはならない。 セックスがきもちがいいのは、相手の心に触れたから。相手のことを本気で見ようとした、相手もあたしを見てくれたから気持ちがいいのです。 相手を受け入れないでするセックスは相手の体を利用した自慰。 園子温の映画を観たり二村ヒトシさんの発言を聞いてると愛や恋や自己肯定やセックスや親について考えすぎる。
園子温の映画は親の愛を得たかったけど得られないまま大人になってその自分を持て余して狂ってしまった人の映画。
昨日観た「恋の罪」の美津子(冨樫真)もそうかもしれない。 これだけやってあげてるのだから、これだけ返してよ、と求めるのはあさましい?セックスするのなら金を払え、と売春婦のような気持ちも…そんな風に思うのは私だけ?
セックスしたからと言って愛してもらえるとは限らない。
得られるか分からないあやふやなもののために大切な体を差し出すなんて…自暴自棄にでもなってなければしない。 愛情←→体
体←→金
愛情←→金
????? 美津子が、「愛してなければ金を取れ!その五千円はあんたがあんたの体を使って稼いだお金!今菊池いずみという名前が意味を持つ瞬間なのよ!」とがなる。 そこに意味を見出そうとすると美津子のようにおかしくなってしまうかも。
美津子は売春の額にはこだわっていなかった。
(東電OL殺人事件の被害者も風俗店に属さず立ちんぼになって個人的に客を取る危ない売春をするようになってからは数千円でも売春していた)
お金に自分の価値を見出そうとすると虚しくうらぶれた気持ちになってしまうのではないかと思う。
自分の、女として・人間としての価値が、金額で示されたら?とても正気では生きていけないと思う。 では何で自分の価値を測る?
職業?学歴?肩書き?成績?収入?
何人友だちがいるか?どんな場所に住んでるか?
なぜだ。
愛することはあなたがそこに在ることをただ認めることだった。
その人の価値はその人がそこに在ること以外にないでしょう。
なぜ人間はこんなに遠回りをして、自分の価値って?なんて思うんだろう。
そういう風に何かに換算されなければ、自分が今ここに在っていい、と思えないだろうか。
2013/01/19
「恋の罪」
けっこーおもしろく観てしまった…。
「死ねよくそばばあ」「あなたこそ死ねばいいのにオーッホッホ」
こんな酷い会話をぼんやり聴けるなどやばいあたしは監督に洗脳されているからに違いない。
普通の人がおもしろく観れる映画だとは思わない。
東電OL殺人事件をベースにしているといわれてる…。
昨年、長らく有罪とされていた外国人男性がDNA鑑定で一転無罪と認められ帰国したが
一体誰が殺ったのだろうか。
それは別の話として。。
冨樫真さんがこの事件の被害者を模したと思われる、昼間はエリート大学教授、夜は渋谷円山町で立ちんぼをしているという役で
皮と骨のガリ、客との喧嘩は日常茶飯事、チェンジさせるために派遣される女の子として風俗店に使われている、
この辺は東電OL殺人事件の被害者に関する本を読んでいるとそのような記述があるのでパクったと思われる。
すごい演技。
最後は2時間ドラマの終わり方みたいに茶番で終わる。
園監督は詩人だったそうなのでオチとか考えられないのだと思う。
私もさんざん話をしていて自分の話にオチがないことに途中で気が付くけど引き戻せず尻切れとんぼで会話が強制終了することがある。
この映画も「愛のむきだし」同様、結論の出ぬまま「は?」って感じで終わる。
結局エリート女性がなぜ売女をしているか分からない。(これはなくなった被害者にしか分からない)
相変わらず神楽坂恵さんがすごい。ますますファンになる。ずっと裸でいるけど。
アンジャッシュの児島がいい。エロい。
水野美紀はなんだか半端だけどこの自分の殻を破れない感じ、かえって好きになったな。
劇中に出てくる詩。↓
田村隆一「帰途」
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつはぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌から落ちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に果実の核ほどの意味があるのか
きみの一滴の血にこの世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙の中に立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
「愛のむきだし」
「雨に唄えば」
なんて楽しい映画…!ウキウキしてくる色とりどりの世界。 踊りたくなるー。
セットで撮影しているところをうまく利用して
洋服やソファ、風を上手に使ってダンスする数々のミュージカルシーン。
しあわせな気持ちな気持ちになった。
2013/01/18
二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密」
自己肯定と心の穴について書かれた本。
AV監督という男目線社会の極みにいる人が書いてるというのがおどろく。とてもためになる。
人は自分にそうするようにしか人から愛されない。
愛されてーーーーよーーーー、誰かこのろくでもない自分を愛してくれよーーーーーーと思って
男の人に料理を作ってあげる!フェラチオをしてあげる!なんならマッサージもしてあげる…!
とやってると自分を愛していない(自分を肯定していない)恋する女はだんだんと疲れてくるわけだね、うん。
自分のカラダを愛させるためのえさとして提供していないか?してるわ。めっちゃしてるわ。そうする以外に愛される方法を知らないから一生懸命やるんだけど全然愛されない、どころか恋愛は破たんする一方、自分は醜くなる一方。
それってなぜなの?泣 という理由がこの本に書かれている。
そうしてしまう自分の習性を心の穴として説明してる。
そうしてしまう自分が悪いのではなくて心の穴がそうさせてしまっている、と。
そして、私に恋して愛しはしない男の人にも心の穴が空いていた、と解釈する。
すべての人に心の穴があります。と言われるとほっとするね。
自己肯定できない私に育てた親を憎んでいたけど親にもそうせざるを得ない心の穴が空いていたと思えれば
親そのものは悪くないと思えるし、これ以上自己否定せずに済む。
自分を愛しもせず相手の心の穴にも触れようとせずさあ愛してよというのは傲慢だね。
ナルシシズムが強すぎると生きてくのつらい。ナルシシズムを中国語では自恋というらしい日本語だと自己愛だけど
自分に恋をしている状態ではまだまだ他人を愛することなどできない。自分を愛するのが先だね。
2013/01/17
2013/01/15
Machany-DJ MIX @ Private studio July 16,2012 by Buta aka porco rosso - SoundCloud
2013/01/14
東京のネオン、夜空のした
ゆれるゆれる飛行機からのぞむ夜景は
電力を使っていました
まばゆい光が
日本の大地に道筋を作っていました この夜景の中にひとりきりな人、孤独な人もいるだろう
誰かといっしょでもさびしい気持ちの人も、
いるかもしれない
みんながみんなしあわせなわけじゃない
温かなライトからはうかがい知れない
人々の生活があるよ。 どうやったらしあわせになれるのだろうねぇ
とぼとぼとぼとぼ あるいて
見つけた何か
2013/01/13
ニッポン・ダンディの園子温
あんまTVは見ないけど今いちばん好きなTV。と言っても2回くらいしか見たことないけど
12月30日放送のTOKYO MXニッポン・ダンディの映画特番。そして1月11日の未公開裏話。がおもしろかった。
出演は水道橋博士に、モーリー・ロバートソン。ゲストは映画監督の園子温と松江哲明さんでした。
園さんはときどき眠いおやぢにも見え
「福島、原発やめるってよ」にウケたけど
1月11日の放送ではもっと「希望の国」の裏話が聞けてそういうことだったんだと納得した。
原発の事故をよく知らない人に「追体験をしてもらうためにこの映画を作ったんで」と言っていたけど
最初の上映は福島でなされたのでその上映会では複雑な思いをしたと思う。
福島の人がみなこの映画を受け入れられたはずなく(私も観た直後はもちろんぜんぜん受け入れられなかったけど)
報道でもドキュメンタリーでも映せないリアリティを撮れるのはドラマだけだと思いこの映画を作った、と語った。
そのリアルを誰も原発に関する映画を作ろうとしない今撮ることができ、よかったようだった。
私は公開された週の最初のレディースデーに観に行ったが若い人がまったくいなかったのを覚えている。
前の回が終わって出てきた人たちの表情がみな一様に暗く?と思い、私も結局同じ表情で映画館を出ることになったが
園監督の裏話を聞いて映画の結末がどうあれ観に行ったというリアルだけでよかったんだという気がした。
来週は映画評論家の町山さんがくる。楽しみ。水道橋博士すてき。
2013/01/09
2012に観た映画 個人的感想
去年観た映画は15〜20本。正確に数えてもいないのか…
内、スクリーンは4本かな?
10月頃ひまでよく観てたが
今年いちばんは「適切な距離」がよかった。
2月8日から開催される恵比寿映画祭でふたたび東京でも観られるということで行こかな?という気がしてます。
どなたかご一緒に。。
2位は「冷たい熱帯魚」にします。
こんなに心臓にくる映画がスキ…だやんて大きな声では言えない。人間の欲深さや感情の嵐がよかった。人がいやがる人間のグロテスクさを描くことに体当たりな人など桐野夏生か園子温くらいしかいないと鼻息を荒くして語りたいところだが誰も聞かないだろう。
BRUTUSでの園監督と染谷将太さんの対談はおもしろかったけど監督の写真…体型が(服装が)ひどくて焦った。
もっとまともな格好してこいやー。もう中年のおっさんを横から撮るのはナシということで。園監督にはがんばってほしいと思います。
3位は「めまい」にします。
私はろまんちすとなのでclassicなムードラヴ。
この映画を観た後にサントラを聴いていたら曲調がおどろおどろしくかえって落ち着く。めまいのポスターがほしいねんけど…
≪番外編≫
途中で挫折した映画3本 「名前のない少年、脚のない少女」
ブラジルとフランス映画。
なんかよぉ分からんく…
「ヴァイブレータ」
寺島しのぶが脱いで大森南朋が金髪の映画。
大森さんは好きだけど。冒頭からこのオンナいろいろイタくてそう遠くない将来の私or思い出したくない20代の私のようで見れなかった。ちがうテンションのときリベンジしたい。
「ちいさな哲学者たち」
ドキュメンタリー。
フランスの幼稚園児が、愛するとは?大人とは?結婚するとは?といっちょまえに語る。内容はよさそうだったがなんだか単調でよお分かり切らなかった…
以前にはペペロンチーノ崩れのナポリタンを作って食べながら安い白ワインを飲んでDVDを観るのが好きだったけど(もちろん12時前には空けてる)最近からだがそんな感じでもないので今年は体育座りして静かに映画を観る…
2013/01/02
いつもとちがう
いつもとちがうメンツで過ごすから楽しみにしていた。
私は昆布巻き、黒豆、栗きんとんを作った。伊達巻きは崩壊して失敗、他は
上出来。
しかし父、母から味の感想を言われるのを非常に恐れてた…
自分は出来に満足していても、甘さが足りない、なんか違う、いつも食べるのはもっと○○な感じとか言われるだろうと非常にびくびくしている。
特に親父がまあまあ美味しく食べながらもあーだこーだ言ってくるので辛辣な感想を言われたらどうしようと気になってね。でも、なんでこんなにおどおどしなきゃいけないんだろう?と思う…
作った奴が偉い、黙って食え、という態度でもいいのに。なかなかね。
妹たちはいやな事言わないので美味しく食べていた。ほっ。
私の、というか、北海道の昆布巻きの中身は鮭です…旦那さんはこれ美味しい!と3本も食べて。よかったあ。
私のおどおどびくびくはいつも取り越し苦労。でも堂々とはできない、そういう人格だ…
それから結婚式のオープニングムービー、2人の子どもの頃からの軌跡を編集したビデオ、結婚式のダイジェストをもう一度みんなで見た。
今思い出してもすばらしいお式だったと我が妹の式ながら思う!BGMを聞くだけであのときのことが思い出されてもう一度結婚式をやりたいくらいで(あほか)
私は式のときも、ちゃんと振舞えるか猛烈に心配だったが「おねぇちゃん」と妹・旦那さんからお墨付きをもらい、ビデオや写真の中でも私はちっとも変じゃなくそれなりに美しく?楽しげに写っていたのでほっとした。