それはきけんな色だった。 私はうれしくもあり、未知なるしあわせに戸惑いを感じたものだった。
しあわせになっていいのかどうかと。
中央線に座れずに窓越しに立ち、走り去る街並みを眺めてさ、
この世が灰色のままならよかったかとか考えて、
よろこびもない代わりに心がねじれるようなこともない方がよかったって考えて。
私が何をして自分がしあわせであるかはアロマセラピストとしての仕事ができているかどうかが大きいと感じた。
それがない私は、卵の腐ったのか床に落ちた陰毛か。そのくらいで。
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1年ほど前「死人のようなセラピスト」と言われた。
今でも死人度はあまり変わっていないがセラピストと名乗る自分がセラピーを必要としているくらいだったとはそんな仕事やめた方がいいくらいだ。(誰もしあわせにしていないから)
お客さんの心を溶かすってどういうことなのか考えた。
お客さんの心にできる限り寄り添おうとすることは自分の心を溶かすことにもなっていた。
けっしてお客さんの心を溶かせた、とは思わない。寄り添えたとは思わない。けど
寄り添おうとする力が、お客さんの心を動かす。
手はいやというほど気持ちを伝えてしまうからねぇ。
この仕事には向き不向きがあるかなとは思う。努力で補えることもあるかなとは思うけど
端からセンスがあるかないかもちょこっと関係あるかなとは思う。
初心者の練習台になったことがあるけど、まったくの素人に体を触られることは恐怖だ。
つぼのズレてるところを力いっぱい押すからねぇ。
センスのあるかないかはそのくらいの時点で分かるんだと思う。
へたでもセンスのある人だと。
アロマの学校の先生の言葉をたびたび思い出す。
授業中、先生のでんわが鳴って授業が一時中断したとき、私はモデルの女性の背中にタオルをかけた。
中断している間、裸の背中を出していれば寒いだろうから。
電話の後、先生はあなたはすてきなセラピストになれるわよ、と言ってくれた。
ちょっとした気遣いの気持ちがあればすてきなセラピストになれる、と。
当たり前のことがふとできること。
人に思いやりをもつことは教えてもらったらできることではなくて、小さな頃から、人間になったときから、
ちゃんと自分の心の中にもっているならできる、ということ。それを使う。
今でもそのことばのありがたさだけでセラピストをしていようと思えています。
私の接客だとが技術だとか話術、人となり…そういったことにはまったく自信がないものだから。
今日はアロマトリートメントを施しました。
精油はユーカリ、レモン、コリアンダーをブレンドした。
お客さんにローズマリーとユーカリ(どちらも似ている)を嗅いでもらって
お客さんがユーカリがいい、と言ったのでこのブレンドになった。
1時間のコースだと全身を施術するには時間が足りない。あおむけ時の足かデコルテがどうしてもさらっとになってしまう。
時間内で足らせるのがプロなのだろうが…
お客さんの体のことを想い、その人のことだけを考え、その"てあて"だけに意識を集中させることのできる時間は自分にとっても大切な時間で
もう一度アロマセラピストになってお客様の体に触れさせてもらえるのならどれだけしあわせだろうと思った。
ジェームス・スチュワート キム・ノヴァク 監督・アルフレッド・ヒッチコック
1958年作。
高所恐怖症を理由に警官を退職した男が、旧友にその妻を尾行することを依頼される。何かにとり付かれているような彼女を尾行するうちに男は彼女の虜になってしまう…。
おもしろそうでしょ?しかも見てよこのオレンジ。ナウいでしょ。
ヒッチコックの世界に一気に引き込まれた。
舞台はサンフランシスコ。
名所ゴールデンゲートブリッジ。時代は違えど住んでいたことがあるので台詞に出てきたコイト・タワー、エンバーカデロもだいたいの位置が分かって楽しく見れた。
サンフランシスコ特融の傾斜の激しい坂道。
尾行される女性キム・ノヴァクが美しい。凛とした眉も唇もほほ紅も、観ている側も一目で恋をしてしまうよ。
主人公ジェームス・スチュワートも背が高く紳士ですてきだ。
前半はロマンチックでミステリアスな雰囲気。何かが起こりそうな危うさを感じさせながら物語が進んでいく。そして終盤には…。
階段を上から撮りぐるぐると渦巻く描写はめまい。
台詞のいらない映像、色使い、音楽、アニメーション。とてもおしゃれでかっこいい上に無駄がない、どきどきする物語だった。"Vertigo" is quite dope and one of the best movie I have ever seen.