2012/11/09

私の中の小さな子ども

あえて苦しい恋愛をして、恋愛が楽しくてしあわせなことがない。
その理由が何なのか考えたとき、私の中に
「私は誰かの特別にはなれない」
「私は人に大切にされるような人間じゃない」
という隠れた思い込みがあることに気付く。
自分を大切にしない・できない男の人と一緒にいてその関係が終わることは
「私は誰かの特別にはなれない」ことが本当である証明になる。
なぜ証明しなければいけないか。

「私は誰かの特別にはなれない」の奥に
「自分はしあわせになってはいけない」
「やっぱり自分は悪い人間だったんだ」
という低い自己肯定感がある。
それを証明できそうな行動を無意識に取ってしまう。
 自己肯定感があって他人からの承認に頼らなくても自分を保っていられる人間はそんなことはしない。  私の中に大人になってもまだ癒えない小さな女の子がいて
その子は、さみしいからおとうさんにぎゅっと抱きしめてほしい、私の存在をただ認めてほしいと言ってる。
幼い頃もらえなかった父からの愛情を恋人から貪り得る。
父との冷たい関係を恋人との関係の中でまた繰り返してる。  なんでいつも苦しいだけの恋愛ばかりで、どんどん自分の自信を失うような出来事ばかり起こるのか、訳がわからなかった。  「しあわせになっていいんだよ」
「人に大切にされる人間なんだよ」「悪い人間じゃないよ」
「おりこうさんじゃなくてもいいんだよ」
私は私の小さな子どもをぎゅっとしてさびしかったその気持ちを認めてあげる。
そうすれば、共依存的にならない、自立した関係の育むことのできる人間になれそうだ。 それに気が付くのにすごく時間がかかってる。

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