もう一度「私が、生きる肌」を観た。
やっぱり変態的だった。
こまかい点に気付いた。
狂気の形成外科医ロベルが監禁しているビサンテの元に行き、ライトをかざす。
その肌の品定めをするのである。
肩に真紅のタオルをかけたロベルの姿はまさにキリストだった。
だが、彼は神ではなかった。
全ての皮膚を移植してその人を別人に変えても心までは変えられない。
皮膚はその人の外面を形作るが、心の入れ物にすぎなかった。
亡き妻の分身を創作し望むすべてを手に入れたかに見えたロベル。
結局妻の心も娘の心も手に入れることができず、さらには母の心さえ知らないロベルは実に哀しい人物だった。
後半に彼が盆栽のようなものをやっているシーンがある。
(盆栽にしてはでかすぎるが…)
彼は意のままになる盆栽が好きだ。それは人口的な箱庭だ。
彼は「普通の世界の人」ではなかった。
彼は屋敷の中で何をしていたか。
ビサンテは服屋をしている。
冒頭に登場するロベルの腹違いの弟"トラ"は虎の仮装で現れるし
ロベルはしごとから帰るときつく絞めたネクタイを緩める。
手術のときは緑色の手術着を着る。
メイド、マリアナは制服を着て仕事モードに入ったり、
娘ノルマはパーティの歩きにくいパンプスを「閉所恐怖症になりそう」と脱ぎ捨てる。
ベラは肌色のボディスーツ姿だ。
服はその人が何者かを語る。
ベラが服を切り刻むシーンがたびたびある。ベラの「自分は何者か感」は壊れていたのである。
服そのものが「私が、生きる肌」でもあるんだと思った。
2013/08/29
2013/08/25
「私が、生きる肌」
「私が、生きる肌」。
どぎも抜かれた。
映像の美しさと肌の美しさ、恐ろしい展開。圧倒された。
アントニオ・バンデラス演じる天才形成外科医の狂気とも言える愛が、盲目的に突き進む。その先には、倫理観もまるでなく、
ひとりの人間をパズルをはめるように別の人間に変えてしまう。
ベラ役の女優さんエレナ・アナヤ。大きな瞳で美しくとてもチャーミング。日本人好みの顔をしている。
第二の肌のように身につけているボディスーツは、ジャン=ポール・ゴルチエ。
奇妙で不思議な、観る者を惹きつける姿・形をしていた。
肌のもつ柔らかさ、人それぞれの唯一無二の質感は、人間のアイデンティティそのもの。
肌を失うことは自己を失いかねない重要な問題だった。
アントニオ・バンデラス、今回は立派な胸毛はなりを潜めていた。こういう役の方が魅力的に見える。
グラス、食器、壁、家具、照明、絵画、手術道具まで、何もかもおしゃれだった。
おもしろい映画を観た。
2013/08/20
「紀子の食卓」
園子温の「紀子の食卓」を観た。
監督が愛のむきだしでも冷たい熱帯魚でも追っていた同じテーマで
家族とは、自身とは、とかで正直くどかったけど
ずっと観たかったから観れてよかったと思ったりはした。
主人公紀子は家族を捨て学校を捨て、停電の夜に家出をする。コインロッカーで生まれたクミコ(上野駅54さん)を頼り、東京でレンタル家族をする。
主演は吹石一恵。
途中、洗脳されたような表情は、新興宗教を描いた愛のむきだしを思い出させた。
妹役吉高由里子が最後の台詞「(家族を)延長しよう」ですべてもってった。
父親は厳格で、娘たちのことなど何も分かっていなかった、とまざまざと見せつけられ、泣くのだが、
それくらいの出来事が家族を再構築するきっかけになったから、園子温物語の中では幸せなストーリーだった。
監督が愛のむきだしでも冷たい熱帯魚でも追っていた同じテーマで
家族とは、自身とは、とかで正直くどかったけど
ずっと観たかったから観れてよかったと思ったりはした。
主人公紀子は家族を捨て学校を捨て、停電の夜に家出をする。コインロッカーで生まれたクミコ(上野駅54さん)を頼り、東京でレンタル家族をする。
主演は吹石一恵。
途中、洗脳されたような表情は、新興宗教を描いた愛のむきだしを思い出させた。
妹役吉高由里子が最後の台詞「(家族を)延長しよう」ですべてもってった。
父親は厳格で、娘たちのことなど何も分かっていなかった、とまざまざと見せつけられ、泣くのだが、
それくらいの出来事が家族を再構築するきっかけになったから、園子温物語の中では幸せなストーリーだった。