2015/07/20
旅の強制終了
ラマダン中のマレーシアでモスクをまわる旅から、タイフード買い食いの旅へと順調に移行したところだったが何も知らない(うすうす感づいていた?)私に重大な事件が発生していたため、旅を終えることになった。
日本国内でカード不正利用があり銀行が機転を利かして私のカードを止めてくれていた。
お金下ろせないなーなんかへんだなと思ってた。
写真は成田上空、トイデジ。
2015/07/11
誰がなにじんか
あすの朝Hat Yaiを発とうかと思った夜、シャワーを浴びに階下に降りると、網状のシャッターからこちらを見る人がいた。
「あなた宿の人?それともゲスト?」
とぎょろっとした眼の白人のおじさんが私に聞いた。
「私ゲストですけど」
彼は、私の身体くらいあるバックパックを背負ったタンクトップの白人女性を連れていた。
ゲストハウスの扉に錠がしてあり宿の主がいないものだから、彼女は入れないでいた。
おっさん「ボスに電話したところだ。いま向かってると」
私「何時に来る?」
おっさん「あと5分で行くって言うんだけどさ。タイでは5分は50分と同じ意味だからね」
私は鍵を開けた。
白人の彼女、こんな遅くに見知らぬ国の見知らぬ街にたどり着いてさぞや疲れているだろうにそんな素振りも見せずに、よかった入れて、本当ありがとうございますーとおっさんと会話している。
私「彼女、アメリカ人?おじさんも?」
おじさんはGreat Britainと声を渋くして言った。誇り高そうだった。
確かにアメリカ人のイギリス人の違いくらい口ぶりで分かるわな。
何も起こらない日々の突然の訪問者に私は少し慌てていた。
おじさん「きみはマレーシアか」
私「日本です」
クアラルンプールに降り立ったときから、日本人か、中国人か、台湾人か、韓国人か、と聞かれ続けてきた。
そのどれかではある。どれでもいい。マレーシアの多民族性を目にしたあと、国籍は意味をなさなくなっていた。
マレーシアのチャイニーズはマレー語を話さないし、空港で働いているインド人をマレー人だと思って覚えたとのマレー語で話しかけても英語でわからないと言われるのだ。
おじさん「彼女はヌーピーさ。きみもヌーピーだ」
私「ヌーピー?」
おじさん「New Peopleのこと。よく分かんないけどタイ人がよく言ってるんだよ」
おじさんは流れ着きタイが気に入って居ついているのだろう。
彼女よろしく頼むぞと言って消えて行った。ボスは本当に5分後に来た。
国境を越えたと感じるのは、肌の露出している人が増えたこと。
一部ムスリマはいるが、肌と髪の黒いおにいさんたちはいない。
男性の目にさらさないように肌を見せない女性たちの住む国から、男性の目を極端に意識している国に来たのだと感じる。
日本人のカレシを待つマッサージのおばちゃんも、美男美女が抱き合うPVばかりでむなくそ悪いタイポップスの中の女たちも、男に媚びるなと言いたい。
男なしで生きていけないと全身で表現しているみたい。タイの女は男がいなくても十分に生きていけるのに。
いま現在一応渡航の延期要検討の勧告が出ているHat Yaiを去り、Suratthaniを通過していまKoh Samui サムイ島にいる。
咳が止まらない。
私は暑いのがだめだし、エアコンの風もだめだから、南国は性に合わないのかもしれないけど、サムイはいいところだと感じる。
サムイにしか上陸しないでタイを去る外国人がいたとしたら、サムイはタイ本土とは全然違う。
看板の文字ひとつ読めない、英語の通じない疎外感を味合わずにタイを満喫しているのか。
Nathon Pier(フェリー港)からChaweng Beachまでのタクシーは600Bと思ってたが値上がりして700Bというさらなる高額になっていた。
ソンテウに乗ってどこか分からない場所で迷子になるか、
30分以上ノーヘルでバイクタクシーに乗っけてもらうか、どちらもいやだった。
あたしはタクシーで行く!
なんかぼーっとした感じの白人のおにいさん2人に声をかけた。
チャウエンに行きます?行くならタクシーをシェアしませんか?
有無を言わせぬ東洋人の申し出に、おにいさんたちはうんと言ってくれた。
片方のおにいさんはもう一人のおにいさんに着いて行っているだけに見えたが、タッパのある白人二人味方につけた私は一人200Bでタクシーに乗ることができた。
よかった!これだけが本当に心配だった。500Bの宿に泊まるのにタクシーだけで700Bとか絶対払いたくなかった。
おにいさんたちはスウェーデン人だった。宿の予約もせず、バンコクからサムイに来てブラブラしてみてから宿を決めるという。ワイルドだー。普通かな…。
写真はChaweng Beachで泳ごうとしていたみつばち。
2015/07/10
Hat Yai
マレーシアはAlor Setarから列車に乗りタイを目指した。
ラマダンのおかげか朝水一本買えなかったから、あるいて駅に着く頃には自分が臭いのが分かるほど汗をかいていた。
国境の町パダン・ブサールに着くと、imigrationへ。マレーシア人にならい同じことをするが何か勝手がわからないままタイへ入国した。
最初の商店で、両替いいですか、と言うと大福のような顔の女の子がこっくりとうなづいた。
脱水して死にそうだったので、急ぎで買った何やら爽やかな漢字の描かれた飲料水を喉に流し込んだがくそまずかった。
南部の町Hat Yaiまでおんぼろのミニバンに2時間ほど揺られた。
風邪がひどくつらいけどそろそろ人恋しくてドミトリータイプのゲストハウスを選んだが、ゲストハウスに他に客はいなかった。
フロントの女の子やボスもいない夜は完全に私ひとりで、シングルルーム状態。
自由にビル一棟を使っていたがあまりにもさびしい。
とまらない咳とくしゃみを直すため養生した。
それを除けば、Hat Yaiは道がだだっ広くなく、歩ける範囲に市場がたくさんあって、ぷらぷらしたり買い食いするにはちょうどよかった。
マッサージ街の店でタイマッサージを受けた。
階段で靴を脱ぎ二階に上がると汚い部屋があり3つあるマットの真ん中でタイマッサージが始まった。
エアコンが22℃だったので26にしたが、入ってきたおばちゃんにあっという間に下げられてしまった。
おばちゃんは必要十分な愛想しかしなかったが、私がJapanというと、色めきたき、わたし日本人と結婚してた、と日本語でしゃべり始めた。
おばちゃんの今のパパは九州にいてお母さんを看ているという。お母さんが死んだらこっちおいでと言ってるけどねと。
日本人の男はタイで何をしているのだろう。
おばちゃんの話によると、Hat Yaiには日本人はいないと言っていた。
実際日本人や他の旅行者も不思議なくらい見かけない。
保守的なマレーシアから開放的なタイにくれば、何かがよくなるだろうと思っていた。
写真は、ナイトマーケットからの帰り。
2015/07/02
闇の中のSP Bumiバスと黒い玉ねぎ
初めて長距離バスに乗る。
Kuala Terengganu→Alor Setar
21:00発寝台 60.50MR 所要時間 約7時間45分
マレーシア各地へ行くほとんどの長距離バスが、21時前後出発のためバスターミナルは一層にぎやかだった。
圧倒的に若いムスリマたち(女の子)でごった返していた。
涙を浮かべ見送る人も。
これからどこへ行くのだろう。
S P Bumiの車内。ラッキーなことにいちばん後ろの窓側だった。バスの中でいちばん好きな席。
SP Bumiが黄色くて巨大な車体を揺らしながらターミナルから出た後は、高速に入ると一気にスピードをあげて暗闇を疾走していった。
夜中に走る理由が分かった気がしがした。私たちは朝になったらアロースターに着いているのだな。
何回か目が覚めたが、まだ真っ暗闇の朝5時ケダー州はアロースターに到着した。
バスターミナルから追ってきたタクシーの運ちゃんの車でそのままホテルへ。ほんとはバスターミナルでば時刻表とか見たかったがあんな暗くてはそれもむり。
運ちゃん、わからないながら一生懸命英語で会話してくれようとした。
初めてちょっと高いホテル。めっちゃ立派だった。
フロントマンが
「ミス、まだシステムが動いてないからまだチェックインできないですよ。9時か10時にあくから待って」
「わかった、バックを預かって」
眠くて眠くて仕方がない。
エアコンの効いたロビーでフリースを着たまま(バスの車内も冷えたので)眠気とたたかっていた。
空が明るくなってきたら探索に行こうと思っていた。
私がソファで何回もがくっとなってこっくりこっくりしていたせいか、7時にはもうお部屋に入れてくれた。
アロースターはなんだかしゃんとした街って感じがする。
ごみが少ない。歩いて回れるくらいの規模で道がまっすぐだ。
Kuala Terengganu→Alor Setar
21:00発寝台 60.50MR 所要時間 約7時間45分
マレーシア各地へ行くほとんどの長距離バスが、21時前後出発のためバスターミナルは一層にぎやかだった。
圧倒的に若いムスリマたち(女の子)でごった返していた。
涙を浮かべ見送る人も。
これからどこへ行くのだろう。
S P Bumiの車内。ラッキーなことにいちばん後ろの窓側だった。バスの中でいちばん好きな席。
SP Bumiが黄色くて巨大な車体を揺らしながらターミナルから出た後は、高速に入ると一気にスピードをあげて暗闇を疾走していった。
夜中に走る理由が分かった気がしがした。私たちは朝になったらアロースターに着いているのだな。
何回か目が覚めたが、まだ真っ暗闇の朝5時ケダー州はアロースターに到着した。
バスターミナルから追ってきたタクシーの運ちゃんの車でそのままホテルへ。ほんとはバスターミナルでば時刻表とか見たかったがあんな暗くてはそれもむり。
運ちゃん、わからないながら一生懸命英語で会話してくれようとした。
初めてちょっと高いホテル。めっちゃ立派だった。
フロントマンが
「ミス、まだシステムが動いてないからまだチェックインできないですよ。9時か10時にあくから待って」
「わかった、バックを預かって」
眠くて眠くて仕方がない。
エアコンの効いたロビーでフリースを着たまま(バスの車内も冷えたので)眠気とたたかっていた。
空が明るくなってきたら探索に行こうと思っていた。
私がソファで何回もがくっとなってこっくりこっくりしていたせいか、7時にはもうお部屋に入れてくれた。
アロースターはなんだかしゃんとした街って感じがする。
ごみが少ない。歩いて回れるくらいの規模で道がまっすぐだ。
2015/07/01
トレンガヌの生地屋でバティックを買う
クアラトレンガヌに来てから一度も日本人を見ていない。
旅行者も少ない。
この街では都会よりマレー系でも中華系も、その辺の人に声をかけるとき、英語はあまり通じない。
「地球の歩き方」の巻末についていた簡単なマレー語だけで話をしなくちゃいけなくなった。意外に通じた。
宿の店主は中華系で英語を話す。
ゆっくり話してくれるのでわかりやすい。
若めの中華系の男もいるが彼はなまりがすごくて 「ダイハツ」しか分からなかった。
そして話が長い。
旅行者も少ない。
この街では都会よりマレー系でも中華系も、その辺の人に声をかけるとき、英語はあまり通じない。
「地球の歩き方」の巻末についていた簡単なマレー語だけで話をしなくちゃいけなくなった。意外に通じた。
宿の店主は中華系で英語を話す。
ゆっくり話してくれるのでわかりやすい。
若めの中華系の男もいるが彼はなまりがすごくて 「ダイハツ」しか分からなかった。
そして話が長い。