2012/12/29

灰色の目

この世はこんなにも鮮やかだったと気が付いたのは中央線だった。

人を好きになってそれまで灰色していた世界に色がついてしまった。
それはきけんな色だった。

私はうれしくもあり、未知なるしあわせに戸惑いを感じたものだった。
しあわせになっていいのかどうかと。
中央線に座れずに窓越しに立ち、走り去る街並みを眺めてさ、
この世が灰色のままならよかったかとか考えて、
よろこびもない代わりに心がねじれるようなこともない方がよかったって考えて。

2012/12/26

狭い世界から出て

私はいらなくなれば人から棄てられる人間なんだと思えば、
私を粗末に扱う人を引き寄せる。
その人は私の否定的なこころのあり様によって、私を棄てるように仕向けられている。

他人はやさしい台詞をはいてもそれはその場しのぎの嘘、
いつでも私を棄てるから心を開いて信用してはいけない、
私は自分の意思よりも人の欲求を優先させなければ一緒にはいられない、
そのようなネガティブな世界に対するイメージが、私を生きていたくなくする。

そのような捉え方の癖は今までの人間関係の中で身に付いた。その人間関係のベースは、幼い頃の親との関係の中で決まってきた。それは大人になるにつれ違和感になり、自分を苦しくし始めた。
しあわせになりたいのにそれを阻む考え方の歪みが私の内に住み着いてる。

自分のしたいようにしたり、他人の欲求に飲まれすぎないようにすると罪悪感を感じる。
悪いことしたかなとか、これでいいんだろうかとか、自分に素直になることがかえって自分を不安にし悲しくさせ苦い気持ちにさせた。
好きなものを好きという恥ずかしさ、好奇心を持つことの罪悪感、
しあわせに対する恐怖、そんな不思議、私の中での当たり前を追い出したい。それをゆっくり外していくこと、親は私がちゃんとしてないと許さなかったかもしれないけど、どんな私でもいいって言ってくれる人がいるはずで、私が自信をもって素直であれば、他人に優しくする前に自分にももっと優しくあれば、ネガティブな世界に対するイメージはだんだんと温かいものになっていく。
温かい人との出会いの中で、自分もしあわせになっていい、人を信じていい、そういうふうに思えるよう変わっていけたらな。

2012/12/20

結婚すること

妹の結婚式を見て、私は結婚しないだろう、と今一度思った…

式はしない、人からあんなに注目されたら私は不安で死んでしまう…
人を好きになる、また恋をすることはあるだろうかと思ったとき、ないかなってちょっと思う。

お互いに必要とし合う人、いっしょに暮らしたい人が現れるだろうか。
たぶん、むりなんじゃないか。

泣いたり傷ついたりもうやなんだよー

40歳、50歳になってひとりはいやだけど
私はむりなんじゃないか、と思う!
60歳くらいになってまだひとりだったらさすがに慣れるかなと期待しつつ
そのときもいつかはしたいと思ってるかな。

妹の結婚式がありました

東京らしいところがいいということでお台場でやりました。
おばあちゃんはひと月前に転んで手首を骨折したけどがんばって来てくれた。いとこも赤ちゃん連れて来てくれました。
二人の会社の人たち、大学時代のお友達、みんな全国各地から来てくれました。 あちらのお父さんはチャペルですでに泣いてました。
お父さんはお話好きで、スピーチもいちばん上手でした。 妹は、かわいかったです。
妹もダイエットしたしドレスもめちゃかわいいのを選びました。ピンクのカクテルドレスもおっきなリボンがついよく似合ってました。
彼も最初グレーのタキシードにすると言ってたみたいだけど白が似合ってよかった…!
私はさして愛想もできなかったが紫色の着物を着ました…
お色直しの前にエスコートする役目を仰せつかっていたのであまり着物が苦しかったらどうしようか、酒を飲みすぎないようにしないと、と心配してましたがちゃんとできました…ふう。 手紙を読むとき、妹は泣いてました。特に私のことを読むときは言葉に詰まって、あちらの叔父さんががんばれ!って言ってくれてました。一番上の叔父さんはすらっとした白髪でいちばん男前でした。 正月に二人と式の話をするのが楽しみだ…。
新婚旅行の写真も見せてくれるかな?私はスマホで first bite してる動画を撮ったのでそれを見せてあげるのが楽しみ。 最後に…式を盛り上げてくれたパラッツォ・エマーレのみなさん、ほんとうにありがとうございました〓





2012/12/14

篠山紀信展 写真力 @オペラシティ

篠山紀信の写真展を観に行きました。

ディズニーランドの写真があった。ミッキーやミニーやらグーフィーやら…なんでこんなにひたすらミッキー達を撮るのかなと思ったけど見慣れているディズニーの写真を見ているうちに「嘘の嘘は本当」と言った篠山の言葉の意味がどういうことなんだろう?と不思議に思えてきた。
嘘っぱちで虚構のかたまりであるミッキーを私たち日本人はとにかく大好きで、ディズニーランドは偽りの世界の際たるものとして色鮮やかな色彩を放っている、満面の笑みをたたえたミッキーの顔はぴくりともしないが確かに笑っていて、私たちをも笑顔にさせる力をもっている。それもまた真実だと気付く。

その他には、1995年の大相撲の写真がありました。
迫力と奥行きがすごくて力士ひとりひとりの瞳に熱いものがあった。1995年といえば貴乃花、若乃花、小錦もいて相撲界が盛り上がっていた時代だったんだと思う。きっと写真の神様が降りて来た瞬間だったんだろうと思った。

一緒に行った母は板東玉三郎の歌舞伎姿が特に気に入っていた。篠山紀信はこの人の妖しさに魅せられたくさん写真を撮っています。確かに…この人だけ格別に妖しく、撮りたくなる美しさが分かる。
虚構に真剣になるという、嘘の中の真実が垣間見えた。

最後に、東北の各地を回って撮影した人々の写真もありました。
一般の人々の素の姿をとらえている篠山紀信ぽくないものだった。
後ろにはぼんやりとだけど半壊した家や瓦礫が写っていた。
あー、このお母さんは、きっと優しいお母さんなんだろうな、涙や不安を見せないように気丈にしているけど息子が心配で仕方がなかっただろうなと物語が見えてくるようだった。

2012/12/12

田中慎弥「共喰い」

共喰い

読みました。
純文学ってこういうホンをいうのか。
田中慎弥さんの芥川賞受賞会見でのひねくれ感を見てこの人嫌いじゃないと思った。
が田中さんと付き合ったら目を見て話をしてくれなさそう。シャイで。愛してる?と聞いても「ん」しか言わなそう。
…。
小説は暗かった。
釣りが好きなようだ…。途中で魚の漢字が読めなくなった…。私が生まれるもっと前の昭和ぽかった。
性や暴力の表現は読み慣れているから嫌悪感はなかったが(お母さんが読んだら「女を何だと思ってるの!」と怒り出しそうだ)
緻密な心理描写を期待していた私にはとっつきにくい小説でした。

2012/12/11

「サイタマノラッパー」

SR サイタマノラッパー [DVD]

監督 入江悠

スマホアプリのリズムシさんシリーズの「ラップムシ」でたまにあそんでいるけど
ラップのキーワードといえば
なかま。ともだち。オレたち。
こどく。こども。ゆめたくし。
きずな。HEY YO。

サイタマノラッパーは、はるかかなたすぎて思い出せない私の青春とはオーバーラップしなかったがイタさは伝わって来た。 会議室で大人相手にラップを披露し年金払ってねーYOと歌い、目が点の町場の職員たち…。
あなたたちの職業はなんですか?
…ニートっす!
マイブロといえばmy brotherではなく畑で育てているブロッコリー。ブロッコリーが一大収入源なのだ!
大切なのは、なかま、ゆめ、きぼうではなく、ブロだった…現実。

8000マイル向こうのアメリカの音楽を聴き、とりま東京へ行きたい若者の青さ。純粋さ。
なんとなくのダサさ。
同じ入江監督の「劇場版 ロックンロールは鳴り止まないっ」観るか微妙になった。
(「ヒミズ」の二階堂ふみさんが出ているんだよー。宮崎あおいを生きものがかりにした感じの。)

2012/12/10

Daft Punk "One More Time"

最近auのCMでOne More Timeが流れてる…!テンション上がるな。すごく懐かしい。

先生の部屋

先生の部屋にはソファが3脚か4脚かあって、私はどこに座ったらいいか分からなくなる。
先生は客人がいないときはドアを開けて手前のデスクに向かっていて、患者が来るとやさしくその名を呼び、招き入れ、やっぱり座る場所の分からない椅子に座らせ、自分は窓側のデスクに向かう。
帰るときはわざわざ歩いていってドアを開けて送り出してくれる。
こんなことされたことはない。
ドアのところで先生と横に立つから、だいたい175cmくらいあるのかなって見える。 ソファは上質な皮でできているみたいで柔らかくて、ゆったりと身体を沈められるようになっているけど私は一度も背もたれに背を付けたことはない。 先生は40代で(に見える)結婚している。
やさしい物腰で、アワアワ言ってる私の台詞を反復しながらまとめるから、分かってもらえた気になる人は多いと思う。
きっと女性のファンもいっぱいいるんだろうなぁと推測する。
先生会いたさに病状が長引いてる人もいるかもしれない。 私も抱かれたいなぁって思った。
私のおじさん好きはほとんど病気といえる。
この深く沈むソファに乗ってきてくれてもいいよと思ったところで先生の左手薬指が目に入りあわてて壁一面の本棚の蔵書を盗み見たら、文庫本のようだった。
あとは本棚にちょこんとタイガーマスクのフィギュアがあった。
マントを風になびかせている。勇ましい。 知ってるよ。ここは先生の部屋じゃない。 いろいろ思いを巡らせてるうちに気が付いたけどドア開けて送り出しってのは診察時間短縮の技なのだろうし
あのドアはいつも先生が開けて先生が閉めるから患者の指紋はひとつもついていないのかもしれない。
私はドアノブの形さえ知らないんだ。
まあどうでもいいことだけど。

2012/12/09

アロマセラピスト

私が何をして自分がしあわせであるかはアロマセラピストとしての仕事ができているかどうかが大きいと感じた。
それがない私は、卵の腐ったのか床に落ちた陰毛か。そのくらいで。

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1年ほど前「死人のようなセラピスト」と言われた。
今でも死人度はあまり変わっていないがセラピストと名乗る自分がセラピーを必要としているくらいだったとはそんな仕事やめた方がいいくらいだ。(誰もしあわせにしていないから)

お客さんの心を溶かすってどういうことなのか考えた。
お客さんの心にできる限り寄り添おうとすることは自分の心を溶かすことにもなっていた。
けっしてお客さんの心を溶かせた、とは思わない。寄り添えたとは思わない。けど
寄り添おうとする力が、お客さんの心を動かす。
手はいやというほど気持ちを伝えてしまうからねぇ。
この仕事には向き不向きがあるかなとは思う。努力で補えることもあるかなとは思うけど
端からセンスがあるかないかもちょこっと関係あるかなとは思う。
初心者の練習台になったことがあるけど、まったくの素人に体を触られることは恐怖だ。
つぼのズレてるところを力いっぱい押すからねぇ。
センスのあるかないかはそのくらいの時点で分かるんだと思う。
へたでもセンスのある人だと。

アロマの学校の先生の言葉をたびたび思い出す。
授業中、先生のでんわが鳴って授業が一時中断したとき、私はモデルの女性の背中にタオルをかけた。
中断している間、裸の背中を出していれば寒いだろうから。

電話の後、先生はあなたはすてきなセラピストになれるわよ、と言ってくれた。
ちょっとした気遣いの気持ちがあればすてきなセラピストになれる、と。
当たり前のことがふとできること。
人に思いやりをもつことは教えてもらったらできることではなくて、小さな頃から、人間になったときから、
ちゃんと自分の心の中にもっているならできる、ということ。それを使う。

今でもそのことばのありがたさだけでセラピストをしていようと思えています。
私の接客だとが技術だとか話術、人となり…そういったことにはまったく自信がないものだから。

触れさせてもらえるのならどれだけしあわせだろう

今日はアロマトリートメントを施しました。
精油はユーカリ、レモン、コリアンダーをブレンドした。
お客さんにローズマリーとユーカリ(どちらも似ている)を嗅いでもらって
お客さんがユーカリがいい、と言ったのでこのブレンドになった。

1時間のコースだと全身を施術するには時間が足りない。あおむけ時の足かデコルテがどうしてもさらっとになってしまう。
時間内で足らせるのがプロなのだろうが…
お客さんの体のことを想い、その人のことだけを考え、その"てあて"だけに意識を集中させることのできる時間は自分にとっても大切な時間で
もう一度アロマセラピストになってお客様の体に触れさせてもらえるのならどれだけしあわせだろうと思った。

2012/12/07

しあわせ

うつ状態で冷静な判断をできないときそのときの焦燥感だけで自殺をしてしまうのはとてももったいない。

生きていさえすればいい、ということがある。

人間は、すべての動物は、しあわせになるために生きている。

2012/12/03

刺すような冷気の夜空を
見上げたら、あぁーっお月さまがきれーだなーと思い
オリオン座も前よりももっと高い位置にきらきら光っていた。

2012/12/01

0時の満員電車

私は仕事帰りで酒など一滴も飲んでいないのに
アルコールの発酵した匂いが充満する週末の午前0時の地下鉄で
どうしたらしあわせになれるのか
考えた。