出演:本木雅弘 広末涼子 余貴美子 吉行和子 笹野高史
観てよかったなぁ。
ふぐの白子を食べながら、社長の山崎努が「これだってご遺体だよ」と言う。
社長の部屋には、あふれんばかりの緑の植物があって、あぶったふぐの白子を美味そうにすする。
タコ、鶏、ふぐの白子なんかが出てくるんだけど、人間が食べる姿は生きる姿。
生きる、そして食べる、どうせ食べるなら美味い方がいい、と言って食べる。
「美味いっすね」「あぁ、困った事に」
とても大切な、ものすごい台詞が出てくる。
犠牲にされた命を食べて、故人の旅立ちを精一杯の思いやりで送り出す。それが人間の大事な仕事。
納棺士を始めた主人公は、この仕事を打ち明けられず妻に汚らわしい、触らないで、と言われてしまう。
「あの人みたいに償いながら生きるのか?」とも言われてしまう。
償うためにその仕事をしている訳ではない。この仕事が何かを償わなければいけないような人がするものでもない。
職業差別や偏見も描かれている。
納棺の儀を行う納棺士の姿をみて、遺族は、「ありがとう、あいつは今までで一番綺麗でした」と言うんです。
誰のために、納棺をやるのか。
故人を想い、残された人間が生きていけるために、そして自分のためにやるのか。
父方祖父は92歳で亡くなった。
満州やマカオにいた、郵便職員をしていた、老人会の会長もしていた、
私が留学していた頃に、
「もえが敵国米国に行くというのはなんとも不思議な気持ちだ Grandfather」と手紙をくれた。
そんなおじいちゃんの最期は、可哀想だったと言えます。
とても質素だった。お金はあったのに、送る人間が盛大にしようと思わなかったんです。
割と派手なおじいちゃんからしたら不本意だったと思う。おじいちゃんは偏屈だった。
火葬されたおじいちゃんの遺骨は、頭がい骨がそのままの形で出てきた。石頭なのか、硬かったんでしょう。
それを観て葬儀場の人はこれほどきれいに残るのは立派だと思います、と言ったから私は救われた。
私がおじいちゃんにしてあげた事はほとんど何もありません。
おくりびとはアカデミー賞でも外国語映画賞を受賞した。海外の人からしたら「納棺」という未知な題材はおもしろいと思う。
私は19歳くらいの頃留学生のクラスで、"Dead body of my
grandfather"というエッセイを書いた。
母方の祖父は67歳で亡くなり、7歳だった私が人の死に触れたのはそれが初めてで、その事をエッセイにしたものだったのですが
先生はとても興味を持って私のエッセイを添削してくれた。
火葬場で骨を拾うところも細かく書いた。先生のお父さんも火葬だったらしいが骨とかはそのような儀式はないよね。
じいちゃんはインスリンを長らく飲んでいて、骨まで薄ピンク色になっていた。それがとても美しく見えた、
私が初めて触れた人の死はそんなものでした。
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